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冬の藤原岳

冬の藤原岳

長いこと山に登っていると、一度や二度は死ととなり合わせのひどい目に遭うものだ。これからお話しするのはそうした極限状態がいかに人間を追い詰めるか、という一種の訓戒である。

 6年前の冬、冬季登山にすっかりのめり込んでいた。明瞭なトレイルが露出している夏季とはちがい、冬季はみずから雪を踏みしめてラッセルし、道を切り拓いていかねばならない。1,000メートル程度の低山でも冬型の気圧配置ともなれば大荒れに荒れ、積雪は2メートル近くにも達する。

 1月下旬ごろ、天気予報では冬将軍が通りすぎるとのことだったが、当時のどんな天気であれ、週末は一にも二にも鈴鹿山脈に入り浸っていた。その日も同山脈の人気山岳である藤原岳(1,100メートル)から天狗岩を経由し、頭陀ヶ平~冷川岳~荷ヶ岳の快適な稜線を歩き、カタクリ峠で一服、そのまま鈴鹿最高峰である御池岳(1,200メートル)をハントするつもりだった。

 序盤は天気も悪くなく、晴れ間も見えていたため危機感は皆無、アイゼンを巻いて快適に飛ばしていた。藤原岳避難小屋をすぎ、広大な雪原にトレースを刻みながらカタクリ峠を目指す。8:00すぎと出発が遅かったぶん御池岳登頂は難しいかもしれないが、いけるところまでいこうと能天気なことを考えていた記憶がある。

 楽しいスノーハイクもカタクリ峠の直前までだった。予報通り天候が急変し始めたのだ。太陽はどんよりとした曇り空で覆われ、どうにも剣呑だと思ったのもつかの間、次の瞬間猛烈にふぶき始めた。山での降雪は平地でのそれとは完全に別ものである。風速15メートル近い烈風、横殴りで襲いかかる雪のつぶて、体温を瞬く間に奪う温度変化。本格的な吹雪に見舞われたことのなかった当時は、すっかり気後れしてしまった。

 さすがに御池岳登頂は無理と判断し、カタクリ峠でピストンを決定。冬季は自分の刻んだトレースがあるので、それを忠実に辿りさえすればよほどのことがない限り、道迷いはしない。そう慢心していた。

 まったく甘かった。猛烈な吹雪はつい30分前につけたはずの足跡を、きれいさっぱり消し去ってしまっていた。ルートファインティング(トレイルを見極める見当づけ)とラッセルをいちからやり直さねばならない。時刻はすでに16:00をすぎ、ただでさえ暗い山中がますます薄暗くなっていく。焦燥感に駆られ始めた。

 それでも頭陀ヶ平あたりまではまだなんとかなった。問題は頭陀ヶ平~避難小屋間の広大な雪原である。尾根や沢であれば地形が目印になるし、灌木にペナントが巻いてあるので冬でも道はなんとなくわかる。だがランドマークの乏しい雪原になると、途端に方向感覚は失われる。それに加えて数メートル先も見通せないような猛吹雪が重なっている。条件はこれ以上ないほど悪い。

 完全に進退窮まった。まったくどちらへ歩いていいかわからなくなってしまった。つけた足跡は数分で消え去り、何度も同じところをぐるぐる回っている気がする。ぐんぐん体温が奪われていく。どの方角へ歩いてもまちがった場所へ出るような気がする。コンパスを出して方角を確認するも、そもそも正しい方角に進めているのかがわからない。判断力も鈍っていたと思う。

 やがて日没。猛吹雪のなか、乏しいヘッドランプの灯りを頼りに雪原をうろつき回ること1時間。脳はついにエラーを起こし始めた。悪天候のなか、登山者らしき人影を認めたのである。60リットルくらいの大容量ザック、ピッケルとストック、スノーシューをザックにくくりつけた重装備の熟達者然とした姿。

 それを見た瞬間、なんというか……諦めた。もう終わりだな、と。非現実的な幻覚を生じさせるほど、脳への糖分が不足しているのだ。観念すると不思議なもので、どうせ死ぬならとそいつについていってみようと覚悟が決まった。するといままでどうしても見つけられなかったペナントが簡単に見つかる。横殴りの積雪で隠されていたのだ。



 とはいえ依然状況は最悪だった。せっかく見つけた正解ルートもすぐにロストし、再び果てのない死の彷徨が始まった。ふつう枝に巻かれたペナントは数メートル間隔で巻いてある。けれどもそのときはその数メートル先が見通せなかった。絶望感に打ちひしがれていると、再び例の登山者が遠くを歩いている。自信に満ちた確かな足取りで。

 もうどうにでもなれ。彼に導かれるように歩いていく。トレースはなかったと思う。いまにして思うとこれは明らかにおかしい。雪に足跡をつけずに歩ける人間はいない。やがて見覚えのある道標が目に飛び込んできた。天狗岩との分岐点だ。ここからはなだらかに起伏する林を突っ切るはずだ。方角を真東にとり、途中何度も雪面に突っ伏して朦朧としながらも、執念で歩いた。

 ついに藤原岳のテーブルランド東端、鋭く切れ落ちた崖に出た。吹雪の向こうに四日市市の夜景がぼんやりと霞んでいる。まだ油断はできない。進路を南にとり、最後の雪原を横断する。このあたりは夏季ですら迷いやすい平原なのだが、進行方向にはまるでついてこいとでも言うかのように、勇ましい登山者が視界の端ぎりぎりを歩いていた。

 20:00すぎ、暴風雪の向こうに蜃気楼のごとく、藤原岳避難小屋が浮かび上がる。身体中から力が抜けた。ここまでくれば、あとは顕著な尾根を下っていくだけだ。尾根に乗ると樹木にさえぎられて吹雪も緩み、寒さもいくぶん和らぐ。傾斜もなだらかで難しいところはない。下山は21:10。カタクリ峠でピストンを決めてから実に4時間以上、日没後の猛吹雪のなかをさまよっていた勘定になる。非常につらい山行だった。

 無神論者だし、怪力乱神のたぐいはいっさい信じていない。神や幽霊は存在しない。それをもはや「知っている」。例の登山者はおそらく脳が作り出した幻覚だったのだろう。生存への執念が正解ルートを視覚化したのにちがいない。そう確信している。そうしないと寄って立つ科学合理主義がこっぱみじんに粉砕されてしまうからだ。

 彼が脳の産物であれ(ありそうにないが)超自然的ななにかであれ、運がよかった。ビーコンになった登山者の幻影は正しい道を教えてくれたからだ。この経験ののち、めったに天候の崩れた冬山には入らなくなったが、天気予報が外れて降雪に見舞われることはもちろんある。

 そんなとき、ふと思う。次に彼の姿を見ることがあるとしたら、果たして彼は正解ルートを先導してくれるのだろうか。彼は信頼に値するのだろうか。確かな足取りで進んでいく彼の表情が、悪意に満ちた笑顔でない保証はあるのだろうか。


 
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出典元:吹雪の山中にて
http://sakebigoe.com/stories/190522113653869/3

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