クライミングビバーク
ビバークという、
大変高度な技術を要する
登り方があります。
もうほとんど人間が
立てないようなところに、
ザイルでもって自分の体を
固定して休んだり、
そこでもってうまく寝袋に
入って寝たりとかする、
それで段々だんだん山を登っていく。
あるときに、ビバークをして、
岩場からザイルがスーッと下がってね、
ちょうどミノムシのような格好で、
一番下に寝袋がぶら下がっている。
それがどうもおかしい、
と地元の方から連絡が
入ったんですよね。
あの登山者は
もう死んでるんじゃないだろうか、
3日経っても全く同じ姿勢で
ぶら下がっている、と。
早速現地へ行ってみたが、
近づけない。
天候が非常によろしくないわけで、
吹雪ではっきり見えない中で、
たしかに岩場に
ザイルがブルーンと下がって、
その下にミノムシのように寝袋がある。
下から拡声器でもって、
おーい!聞こえるか。
聞こえてるんなら何か反応を示してくれ。
手を振るでも、
頭を振るでも何でもいいから見せてくれ、
というんですけれども意思表示がない。
全くない。生きてるものか
死んでるものか分からない。
岩場にぶつかったとか
落っこちたというなら分かる。
でもきちんと寝袋に
入ってぶら下がったまま
死んでいるっていうのは
あんまりありえない話なんですよね。
5日経ってるんですよ。
ただその場所に行くのは
非常に難しいんですよね、
相当な技を要するもんですからね。
結果的には、もしその人間が
死んでいるならば、乱暴な話ですよね、
これ当時実際にあったんですがね、
ザイルを銃で撃ち落とすっていうんですよ。
そのまんま寝袋がドーンッと
地べたに落ちたのを
回収しようという話だった。
お父さんとお母さんが呼ばれたんですよね。
ニュース映像に出ましたよ。
非常に哀しくつらい話なんですが、
ご両親は決断しましてね。
倅は死んでいるに違いない、
と認めたわけですよ。
それで撃ち落とす話になった。
実はそのニュースを撮りに行ってた、
っていうんですよ。
ただ、その場合、何が難しいかというと、
当時のことですから、
極力近づいて映像を撮らなければならない。
そこで近くの山小屋、
といっても普段使われていない
荷物置き場みたいな小屋って
言った方がいいのかな、
そこで何日か、
狙撃が行われるまで待機することになった。
ベテランのニシダさんが
リーダー格だったんですよね。
民放テレビ各局のクルーがそれぞれ、
カメラさん、音声さん、照明さん、
と集まって山を登って行く訳ですが、
何しろ状況が非常に悪い。吹雪いている。
下手をすれば自分たちが遭難してしまう。
(ゴォーーーッ)(ヒューーーッ)
吹雪いてる。前がよく見えない。
そこを隊列を組んで、
一歩でも離れるとどうなるか分からない。
前が見えないから
皆絶対離れるなっていうんで、
体をくっつけて、みんな歩いて行った。
ザッザッザッザッザッ
山道ですよ。険しい中を行く訳だ。
相当体力消耗しますよね。
ザッザッザッザッザッ
気を付けろ、いいかー!
(ゴォーーーッ)(ヒューーーッ)
凄まじい勢いで吹かれながら。
必死ですよね。着いてみれば、
粗末な小屋で隙間だらけ、
ボロボロなんですよね。
一応道具がありますから修繕をする。
あっちこっちが傷んでいる。
(ビシューーッ)
(ギシイーーーーーッ)
(ガタガタガタン)
(バタバタバタンッ)
(ビシューーーーッ)風でもって、
建物がうなりを出している。
一応修繕も済んだ。火を焚いて、
暖をとって一息ついた。
リーダーだったニシダさんは、
「この天候だと何日か待機することに
なるかもしれない。明日は早くなるし、
こういう状況で
相当消耗してるだろうから休もう」
と指示を出して。
いいか、みんな寝ろよ、
と寝袋に入ったわけです。
外はっていうと、
風が(ゴォーーーッ)
(プヒューーーッ)
(ガタガタガタン)
(ビシューーーッビシューーーッ)
(バタバタバタンッ)って
相変わらず音がしてる。
でもそのうち、みんな疲れてますからね、
寝息が聞こえるわけですよ。
ところがどうにもニシダさん眠れない。
神経が起きちゃってる、自分がリーダーですからね。
天候が悪い。この先、何が起こるか分からない、
緊張で眠れないんですよね。
ただ黙ってじーっとしていた。
(ゴォーーーッ)っと
相変わらず吹雪く中、
ザッザッザッ、
ザッザッザッザッザッ
(ん?)
雪の中を誰かが歩いてくる足音がする。
(だれだろう)と思っていたら、
目の前の若手が起きて、
「ニシダさん、だれか来ますよね」
「おお、お前も聞こえたか」と。
真っ暗で、こういう状況じゃ悪いから、
こちらから声を出して呼んでやろうか、
と2人でもって、おーーい、
こっちだ!おーい、大丈夫かー、
と呼びかける。
すると他の人間も起きだして、
だれか来てる、というもんだから、
みんなで聞いてみた。
ザッザッザッザッザッ。
確かに音がしてる。
おーーい!こっちだぞ!と、
皆で呼んだわけですね。
ザッザッザッザッ
小屋のそばに来た。
ザッザッザッザッザッ
建物の裏から
周り込んでくるんですよね。
ザッザッザッザッ
小屋の入り口まで来た。
バサッ、バサッ、バサッ
雪を払う音がする。
行ってやれ、と若手に命じて。
ガタガタガタンと戸を開けると、
雪が凄まじい勢いで
ブワァアアアーっと
中に入ってくる。真っ白ですよ。
「大丈夫ですか!」
返事はない。
「大丈夫ですか!・・・
あれ?ニシダさん、だれも居ませんよ」
そうこう言う内に、
吹雪がどんどんどんどん中に
入ってきて火が消えそうになる。
「そんなはずは・・・もういいから、閉めろ」
(みんな足音を聞いているのに、おかしいな…)
と思いながらも、起こして悪かった
、明日も早いしみんな寝てくれ、
ということで、みんな寝袋に戻った。
その後もどうしても
ニシダさんは寝れないもんだから、
また黙ってじーっとしている。
外はっていうと
(ゴォーーーッ)
(ビシューーーッ)
と風の音がする。
(ガタガタガタン)
(バタンバタンッ)
(ギシーッギシーッ)
小屋は揺れている。
どれくらい経ったか知らないけれども、
突然、ザッザッ
小屋のすぐ近くで音がして、
(ん?)
ザッザッザ
歩いてくる。
若手が起きてきて、
「ニシダさん、いますよね」
ザッザッザッ
歩いて入り口までやってきた。
ザッ
「おい、開けてやれ」
ガタガタンとやって、
戸をバッと開けた瞬間に、
(ブワァアアアーっ)と、
のけぞるほどの凄まじい吹雪。
「どこにいますか!大丈夫ですか・・・
ニシダさん、いませんよ」
どうしたどうしたと周りの
クルーの連中も起きてくる。
「今来たんだよ、おっかしいなぁ」
見てもだれもいない。
また戸を閉めた。
そのうちニシダさんも眠りについたわけですよ。
疲れがありますからね、すっかり寝てしまった。
翌朝早めに目が覚めた。
無線が入ってきた。
いよいよ今日、ライフルで撃ち落とす、
決行するという合図なんですね。
「今日決行することになった。
準備して、みんな行くぞ。外の状況、
あまりよくないから気を付けてな」
出発の準備もついた頃、若手の一人が
「あれーっ!ニシダさん、
これちょっと見てくださいよ!」と呼ぶ。
見ると、小屋の入り口から
足跡がずーっと続いている。
小屋に向かってくるんじゃなくて、
小屋に背を向けてどこかへ向かっているんだ。
(やっぱり昨日来てたんじゃないか。
おかしいな、何で小屋に入らなかったんだろう)
「行く前にみんな悪いけど、
どこかに倒れてるかもしれないから
小屋の周りを見てくれないか」
ニシダさんは若手と2人で
足跡について行ってみた。
靄(もや)ってすごいんですよね、
山の靄は。手を前に出した瞬間から
手先が見えなくなるっていうほど濃くなる。
「踏みしめて歩け。落ちるといけないからな」
ニシダさんは前を歩く青年のベルトをぐっと掴んで、
いいか、行くぞ、と歩いて行った。
「足跡、ずっと続いてますね、どこに続いてるのか」
「ああ、続いてるな。
どこに断崖あるかも分からないから、
気を付けろよ」
「…どこへ行ったんですかね」
「…ああ」
しばらくすると、
「…うわぁ!びっくりした」
若手の方が足を滑らせる。
「だから言っただろ、大丈夫か」
靄がスッと退いた瞬間に…
人間て面白いんですよね。
そういうときって、うわぁこわいって、
もう一回確かめて見るんですよね、
なぜか。うわーっ、こんなとこだったんだ、
危なかったぁ、って。
断崖なんですよ。
足跡もずっと続いてる。
恐る恐る下をうーっと覗いて見る。
「ニシダさん、いますよ!
見てくださいよ、あれ」
見ると、断崖の真下、
岩場に大きい岩が三つあって、
その抉れた中に
すっぽり嵌るようにして、
と黄色のヤッケっていうんですか、
それが見えてる。人が落ちてる。
(そうか、歩いてきて暗くて
見えなくて落っこちたんだ。)
おーい!と呼んでも返答がない。
どう考えても生きてるとは思えない。
(これは無理だろうな…)と思いながらも、
すぐに無線で連絡とって、
下の救助隊を呼ぶように言った。
「こちら撮影隊なんですけども、
救助隊お願いします」
下に無線をつなぐ。
「今、けが人か遺体か分からないんですが
発見したんです。至急お願いします」
下から、他に救助隊がないから
すぐには行けない、と返答がある。
「どこの局の人間でしょうかね…
赤と黄色のジャケットを着ていて…
夜に来た人間なんですけども…
崖から落っこちたようなんですよ」
夜中にそちらへ行った人間なんかいない、
ましてやテレビ局の人間が着ているのは
紺か黒かグレーに決まってる、
赤と黄色の奴なんかいない、と。
言われてみればそうなんですよね。
やりとりがあって、
なにしろこちらは狙撃を決行するから、
とにかく当初の場所に行ってくれと。
後から別動隊に行かせるから、
そちらは任せなさいということになった。
その岩場というのは、
崖の上からなら見えるんですよ。
ところが下からだと、
岩の窪みに嵌った死体は
見えないような場所だった。
何があったか知らないけれど、
と思いながらも、
ニシダさんたちは
目的の撮影ポイントへ向かった。
ライフルでロープ狙撃を実際にやりました。
(ドゴーーーン!)
とザイルが撃ち落とされて、
ストーーーンっと落っこった。
回収されました。
そのときのニュース映像で見ましたけれども、
外で山男が集まって、
遺体が焼かれるんですよね。
お父さんはっていうと、
遠く、白い靄に包まれた岩肌を
じーっと見てるんですよね。
哀しそうに、じーっと見てましたよ。
お母さんは、ただ泣くばかりでしたよね。
一方ではですね、
別の救助隊によって
赤と黄色のジャケットの
遺体を引き上げられた。
「オレ驚いたよ」
ニシダさんが言ったんです。
「その救出された遺体なんだけどさ、
それ、一年前の遺体なんだよね」
「よく考えてみたらさ、猛吹雪の中、
足音なんか聞こえるわけないよね。
なのにみんなちゃんと聞いたんだよ、
足音。雪を払う音も」
「小屋からあった足跡。
あれは俺たちを“案内”したんだな、きっと。
一年前に死んだ人間が、
自分の居場所を見つけてもらいたくて、
助けてもらいたくて足跡つけてたんだね」
「幽霊って、そんなことするんだねぇ」
って言ったんですよ。
私も、ああ、なるほどそんなことが
本当にあるもんなんだねぇ、と思ったものです。
…そんな話を聞いてから、随分月日が流れて。
局の仕事が終わって、
いつもは車で向かうんですが、
なぜか、その日、歩いてたんです、駅に向かって。
すると、私、しばらくぶりに会ったんですよ、
ニシダさんと。「おう、どうも」
「しばらくだねぇ!
元気?変わらないね」と。
なんて言ってね、
「してくれた例の話、
覚えてますよ、ビバークの」
って言ったら、
ニシダさんが
「あれ、違うんだよ。あの話ちがうよ」
って言うんです。
聞いてみると、
その後ニシダさんのところに連絡があった、
っていうんですよ。
ザイルにぶら下がって、
ビバークをしていて亡くなった
青年の山仲間の友人たちなんですね。
時間も経ってお父さんお母さんも
気持ちが落ち着いた、
我々も彼の魂、
気持ちを送ってあげたいから
みんなで集まって
懐かしい話でもしようじゃないか、
という集まりがあった。
あなたは当時映像を撮って下さった、
これもご縁ですから
良ければ顔を出してくれないか、
と連絡があった。考えてみれば、
局のカメラマンなんて
色んな人撮ってますから、
そんな付き合いをすることも
普通ないんですけれども、
妙に好奇心が湧いて
行ってみたそうなんです。
行ってみると、お父さんお母さんも
いらっしゃって、その節はどうも、
と挨拶を交わす。
亡くなったその青年は
非常に几帳面な方で、
色々と日誌を付けてる。
ああ、こういう明るい人だったんだね、
そういう人だったんだね、と話をした。
他にも、彼は写真を撮ってるんですよね。
自分で撮ってるんですよ、
自動シャッターで。
それも見せてもらった。
山を背景にニコっと
笑ってる写真だとか、
何人かで撮ってる写真だとか、
楽しそうな笑顔がずっと写ってるんですが、
向こうの方に3枚ばかり
ひゅっと抜いて渡された。
「ニシダさん、この写真なんですけどね、
これ、ちょっと見てもらえませんか」
見ると、10人くらいが山小屋を背景に
笑って写っている団体写真。
大体2列になって並んでいる。
「これが、彼です」と指さす。
前列の、割と左側に、
亡くなった青年が笑って写っている。
ニコ〜っと。
「彼の、斜め後ろの、
この人、見てください」
見れば、青年の斜め後ろに、
同じようにニコニコ
嬉しそうに笑いながら、
彼の肩に手をかけている男性がいる。
で、笑っている。
「この笑ってる人なんですけどね、
ニシダさん」
「ええ」
「赤と黄色の、ヤッケ、着てますよね。
覚えてらっしゃいませんか?
あの日、もうひとつ死体発見されましたよね」
「え・・・ああ、覚えてますよ。
でもねぇ、あれは、違いますよ。
あの死体はすでに
一年前の遺体だったんですよ。
この写真に写る訳ないんですよ」
と言ったら「いいえ、ニシダさん。
それが、ここに映っている本人なんですよ」
と指さす。
「そんなバカなことはないでしょう。
だって、あの人間は一年前に死んでるんですよ、
一緒に写真に入る訳ないじゃないですか」
というと写真を出した人間が、
「ええ、でも、違うんです。
たしかに赤と黄色のヤッケを着ているこの青年。
“この青年”に間違いないんですよ、
ニシダさん」と念を押す。
「じゃぁ、一年前に死んだ人間が
一緒に写っていたっていうのかい」
「…そうなんです」
「ええぇ?」
何ともいえない気持ちになって、
別れを告げて帰ってきた。
その帰り道で、あることに気が付いた、
とニシダさんはいうんですよ。
「亡くなった青年の肩に
手をかけて笑ってる、
あの赤と黄色のヤッケの男な。
分かったんだよ」
「だって、あのビバークの青年が
亡くならなかったら、
誰もあんな場所行かないぜ。
俺たちだって、
彼が亡くなったから、行った訳だ」
「一年前に死んだあいつは、
探してたんだよ、
自分を見つけてくれる人間を。
どうしたら自分が見つかるか、その方法を」
「分かったんだよ、
誰かが死ねば自分も
見つけてもらえるって」
「自分を見つけてもらうために、
だ〜れ〜を犠牲にしよ〜かなぁ〜、
と思っているうちに、
『あ・・・こいつに決〜めた!』って」
「それで、笑ってたんだよ」
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出典元:いつしかついて来た犬と浜辺にいる
http://sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com/entry/20180805/