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滝谷避難小屋②

滝谷避難小屋②

それは3月の穂高であった。中崎尾根から槍ヶ岳に登ろうと入山した私たち2人のパーティーは、その日の宿を滝谷避難小屋に取った。
いや、実際この滝谷避難小屋、有名な北ア随一の心霊スポットである。だいたい穂高の岐阜県側が、あれだけ明るく華やかな長野県側とは一転して陰々滅々とした雰囲気なのに、この滝谷出合い周辺はその岐阜県側の中でも飛びっきり陰々滅々としている。いや、見る人が見ればこの滝谷出合い周辺から漂う霊気が、穂高の岐阜県側全体の雰囲気を陰気なものにしているのかもしれない。
 ま、滝谷という北ア全体の中でも剱岳と二分する死者を多く出しているエリアである。ましてこの滝谷避難小屋は遭難者の遺体の一時安置所になることも多く、滝谷出合いで荼毘に付される遺体も多い。心霊スポットとして恐れられても当然である。

 そんな避難小屋に泊まったのは、まあ要するに2人とも霊感がない、言い換えれば信じていなかったからである。
 そんな我々でもこの避難小屋の周囲に漂う陰気な空気は嫌でも感じていたわけだが、明日の行程も長いしさっさと飯を食って寝たわけである。

 それがまた出来すぎなのだが、その夜は妙に気温が高かった。というか蒸し暑かった。3月だというのに、私はシュラフのジッパーを開けて足を出して寝ていたのだった。
 そのうち、例によってざわざわとなにやら人の声のような音が聞こえてきた。まあそのくらいはいつものことだし、場所が場所なので不気味な気はしていたが、それでもなんとか眠ろうとしていた。人の話し声のような音は風とか雪が落ちたり緩む音とか、いろいろな音がそう聞こえるのである。
 そのうち今度はがちゃがちゃと金物をかき回すような音が聞こえてきた。だんだん意識が冴えてくるんである。じっと集中して聞いていると、カラビナの束をぶら下げて歩いているときにそっくりな音である。何を話しているのかは聞き取れないが、まだ人の話し声のような音も聞こえる。

 さっきから暑くてたまらないのだが、シュラフから出たくないという気持ちがほとんど強迫観念のようだった。シュラフから出るどころか動く気になれないのである。こちらが物音を立てたら何かに気づかれてしまうみたいな気持ちだったのだろうか。
 でも、汗をかいているしシュラフのジッパーを開けなければ。この不気味な物音は気のせい、と自分に言い聞かせてシュラフのジッパーを開けようとしたまさにその瞬間、唐突にその声が聞こえた。

 「俺のアイゼンは~?」

 ・・・これがまたはっきり、聞き間違いとか気のせいとか考える余地を許さないほど明瞭にはっきりと大きく聞こえたのだ。
 それも今思い出しても嫌な気持ちになるような、なんとも言えず虚ろな嫌~な響きで。
 思わず反射的にガバッと飛び起きたのだが、相棒も同時に飛び起きた。やはり眠れず物音に怯えていたところ、この声を聞いたらしい。
 時計を見れば午前2時。近くに別のパーティーなんて・・・いないだろうなぁ・・・
 もうその夜は一睡もできず、翌日明るくなると同時に行動を開始したのだが、やはりというかなんというか、小屋の周囲に別のパーティーの痕跡はまったくなかった。
 中崎尾根を登るものの、寝不足で深雪のラッセルはきつく、奥丸山周辺で時間切れとなってしまい、翌日から天候も悪化したので敗退ということになってしまった。
 帰路、夕方にまた滝谷避難小屋の前を通ったのだが、さすがに再びこの小屋に泊まる気にはなれず、暗くなった道を穂高平まで下りてきたのだった。


 
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出典元:山の怖~い話
http://chonai-yama.main.jp/essay/horror.html

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