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トムラウシ山遭難事故

トムラウシ山遭難事故


 

 
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★遭難事故パーティ行動概要
 
●2009年7月13日
 
■新千歳空港  13時30分
 
広島、名古屋、仙台など各地からのツアー客(以下、メンバー)が新千歳空港に集合、 バスで旭岳温泉に向かう。バス車中にてリーダーA(61歳)が挨拶、ガイドB(32歳)も 挨拶し、今回のコースの概略を説明する。途中、アウトドア用品店とコンビニエンス・ ストアに立ち寄り、ガスボンベや行動食の買い足しをする。
 
■旭岳温泉  17時00分  少し前
 
旭岳温泉・白樺荘に到着。旅館にてガイド・スタッフ(以下、スタッフ)たちはトム ラウシ温泉に送る荷物をツアー客(以下、メンバー)から集め、宅配便で発送する。さ らに共同装備の仕分けをし、それぞれ荷物を振り分ける。天気予報は部屋のテレビで確 認、ガイドB(32歳)は、14日は大丈夫だが、15、16日は崩れるだろうと予想した。
 
▼女性客G(64歳)
 
「主人から電話があり『こんな日でも行くんか?』と言われたが、『それはプロであるア ミューズのガイドが判断すること。それが分かるようなら、いつも独りで行くわ』と答 えた」
 
●2009年7月14日
 

■旭岳温泉  5時50分
 
予定どおりに白樺荘を出発、旭岳ロープウェイで姿見駅に到着。天候はガスがかかっ ていたが、そんなに寒いという感じではなかった。
 
■姿見駅  6時30分ごろ
 
体操をして出発。一行はシェルパD(62歳)を含むガイド・スタッフ4人、メンバー 15人の計19人。旭岳までは風が結構強く、ガスもかかっていたが、トムラウシ山や白 雲岳、北鎮岳などは見えていた。五、六合目付近の30分間くらいは、体が持って行か れるくらいの強い風で、まっすぐ歩きづらかったほど。
 
■旭岳  9時00分
 
山頂近くから風も弱まり、予定どおりの時間で旭岳山頂に到着。全員で休憩している 間に、ガイドB(32歳)は山頂からの下降ルートの雪渓の状態を偵察。なお、旭岳登頂後、 女性客のひとりが嘔吐。
 
▼女性客H(61歳)
 
「私は1700m以上に達すると高山病の症状が出る。胃に不快感が起こり、頭痛はあまり ないが、吐く前にしきりに生あくびが出る。初日は固形物が食べられなく、水を飲んでもしばらくすると吐いてしまう」
 
■間宮岳
 
パーティの歩くペースは順調で、間宮岳手前の岩陰で昼食をとる
 
■白雲岳分岐
 
さらに縦走を続け、北海岳で南東に折れ、白雲岳分岐に至る。ここでガイド2人が案 内して白雲岳を往復、ガイドC(38歳)とシェルパD(62歳)は夕食サ-ビスのため白雲 岳避難小屋(収容60人)に先行する。女性客H(61歳)は白雲岳登頂を断念。
 
■白雲岳避難小屋  14時30分ごろ
 
本隊も避難小屋到着。リーダーA(61歳)とガイドB(32歳)が管理人に挨拶し、1階 を使わせてもらうことに。ガイドC(38歳)はひたすらお湯を沸かし、夕食と翌日分の お湯をメンバーに渡す。各自夕食を作り、皆にぎやかに談笑していたが、女性客H(61歳) はほとんど食べられず、スープとお茶だけを飲んだ。  夕食後、スタッフ3人で翌日の打ち合わせをする。
18時過ぎには就寝が始まったが、スペースは十分にあり、ゆっくり寝ることができた。
 
△ガイドB(32歳)
 
「携帯電話の天気サイトで上川地方の天気予報と概況を確認したら、午後に寒冷前線が通 過して天気が悪くなりそうだった。雷が怖かったので、少しでも早くヒサゴ沼避難小屋 に到着したいから出発時間を30分早めるよう、3人で確認した」



●2009年7月15日
 
■白雲岳避難小屋  5時00分過ぎ
 
3時ごろからごそごそ動く女性客がいたので、リーダーA(61歳)が注意。出発準備 をして5時過ぎに避難小屋を後にする。メンバーから体調が悪いという申し出はなかっ た。女性客H(61歳)はこの朝もスープとお茶だけだった模様。  天候は朝から完全な雨。風はなく、体感温度はそれほど低くはなかった。全員、雨具 の上下を着て出発。  高根ヶ原から忠別岳、五色岳と縦走を続けていったが、雨のため登山道がぬかるんで いて歩きにくく、大勢が通過するのに時間を食う。体が冷えないように休憩は5分程度 にとどめ、ほとんど立ち休みで進む。
 
■ヒサゴ沼避難小屋  15時00分
 
化雲平から化雲岳は巻いて直接、ヒサゴ沼避難小屋(収容30人)に15時少し前到着。 約10時弱間の行動だった。
ヒサゴ沼は化雲岳の南、主稜線の東側に位置し、山上湖としては意外に大きな湖で、 その中ほどの湖岸に避難小屋が建つ。  小屋は2階に静岡の6人パーティと夫婦連れがいたので、ツアー一行は1階を使用す る(一部、ガイド2人と女性客1人は2階を使用)。  パッキングが悪く、装備の一部を濡らした人もいた。また、濡れた雨具やスパッツ、 手袋、靴下などを吊るした人もいたが、ほとんど乾きはしなかった。
夕食は前日と同じくガイドがお湯を配り、各自持参の食事をとる。女性客H(61歳)は、 この日は行動食を少し食べ、夕食は雑炊とクルミパンを半分食べ、紅茶を飲んだ。  一段落したのち、リーダーA(61歳)とガイドB(32歳)が翌朝一番で通過する雪渓の 状態をチェックする。  明朝は3時45分起床、5時出発を確認して、19時か20時ごろにはそれぞれ就寝。なお、 この避難小屋に、翌日、沼ノ原から登って来る自社のツアーのため、10人用と4人用テ ント1張や炊事用具、燃料などの共同装備をデポする。
 
▼女性客G(64歳)
 
「この日は展望もなく、泥んこ道を長時間歩いたため、皆さんへろへろだったようだ」
「サポートタイツは脱いで、シュラフの中で着干しした。リーダーA(61歳)さんが着干 しを教えてくれた。靴下は濡れたまま」
 
▽男性客F(61歳)
 
「山はすべて自己責任が基本。雨になることが分かっていたのだから、その対策を各自が 講ずべきだ。それをしなかったメンバーの対応の不備に、少々むっとした」
 
●2009年7月16日
 
■ヒサゴ沼避難小屋  5時00分
 
昨夜来の風雨が強く、朝方もまだ残っていた。リーダーA(61歳)が、天候の回復具 合や出発直後の雪渓の登りを考慮して、出発を30分遅らせることを全員に伝える。
 
▼女性客A(68歳)
 
「夜2時ごろ、風雨が強かった。1階は雨が吹き込むので、シュラフなどが濡れた。私個 人としては1日停滞しても、キャンセル費用は掛かるが、命には代えられないと思った。 ただ、私は用心のため8食持ってきたが、ほかの方は6食ぎりぎりではないか。最悪、 皆でシェアすることになるな、と思った」
 
▽男性客F(61歳)
 
「夜中に強い風雨の気配を感じた。起きた時も依然風雨ともに強かったが、出発するころ には断続的で、やや収まった感じになった。特に不安はなかった」
 
▼女性客G(64歳)
 
「こんな天候の日に行くんか、と思ったが、ツアー登山では我がまま言ったらきりがない。 自分でセーブした。出発が30分遅れたので、その間に温泉宿でもらったタオルに穴を開け(後ろを長くして)、被れるように細工した。フリースを着たかったが少し濡れていたので、その代用のつもりだった。そして、日本手ぬぐいを首に巻いて保温した。これら が命を救ってくれたかと思うと、帰ってからも、捨てるに捨てられなかった」
 


■5時30分
 
リーダーA(61歳)が、今日はトムラウシ山頂には登らず、迂回コースをとることを 伝えたが、今後の天候判断による対応などについては語らず。スタッフやメンバーの中 からは特に異論や質問はなかった。
なお、出発時のウェアリングは全員、雨具の上下を確実に着ていたが、スタッフは、 各メンバーがその下に何を着ていたかは確認していない。
避難小屋を出てすぐにアイゼンを付けて出発。ただ、アイゼンの装着に不慣れなメン バーがおり、時間を食う。
 
▼女性客B(55歳)
 
「リーダーA(61歳)さんが、『僕たちの今日の仕事は山に登ることじゃなくて、皆さんを 無事山から下ろすことです』と言ってくれたので安心した」
 
▼女性客H(61歳)
 
「ガイドからこの日のウェアリングについて特段の指示はなかった。もし風雨が強まるこ とを予想してそれなりの指示があったら、私はダウンを着込んでいたと思う」
 

 
■主稜線のヒサゴ沼 分岐  6時10分
 
雪渓はシェルパD(62歳)が、スコップでステップを刻んでサポートしてくれたので スムーズに通過、彼はここで別れ、ヒサゴ沼に戻っていった。  雪渓の終わりから主稜線に出るまではコル地形で、しかも西に向かって歩くので風が 非常に強く、足元は大きな岩がごろごろしているためバランスが取りづらく、苦労して 進む。  稜線に出た所は化雲岳からトムラウシ山に続く縦走路で、北に戻ると化雲岳、南下す るとトムラウシ山である
 
△ガイドB(32歳)
 
「ヒサゴ沼では風はそれほどではなかったので、とりあえず主稜線まで行ってみようと 思った。その時点でもしもの場合は、天人峡へのエスケープルートを採らざるを得ない だろうな、という心積もりはあった」
 



■天沼付近 
 
天沼から日本庭園にかけては、岩と緑と池塘が織りなす景観が、文字どおり天然の日 本庭園のようで、晴れていれば格好の散歩道。この前後で2回、それぞれ5~10分ずつ、風の当たらない岩陰で立ち休み。行動食を食べているメンバーもいた。
 
△ガイドB(32歳)
 
「もし引き返すという決断をするなら、結果論だが、天沼かロックガーデンの登り口辺 りだろう。あるいはもっと手前のヒサゴ沼分岐で、主稜線に上がった段階でそうするの が現実的だろう。しかし、そこで、『ルートを変えて、下山します』と言えるほどの確証 がなかった。それと、やはり前日に低気圧が通過して、この日は離れていくだろうとい う予報だった。それが、逆にあそこまで風が強くなってしまうというのは、全く予想外、 想定外だった」
 

 
■日本庭園
 
ここで休憩している間に、最後尾が追い付く。特に遅れるメンバーはいなかった。  クワウンナイ川源頭から吹き上げる西風が強さを増し、木道歩きで非常に難渋する。 時にはハイマツの上に吹き飛ばされるので、ガイドが耐風姿勢を教え、風の息する(弱 まる)瞬間を狙って前進する。この辺りから少しずつパーティの足並みにばらつきが出 てきた。
 
▼女性客H(61歳)
 
「天沼からロックガーデンにかけては、皆時々、風に吹き飛ばされており、特に私は体重 が軽いので、帰って見てみたら全身痣だらけで、泣きそうだった」
 
▼女性客G(64歳)
 
「木道の端を持って、強風に耐えながら必死に歩いた。怖いと思ったが、あの避難小屋に は引き返したくなかった」
 

 
■ロックガーデン  8時30分ごろ
 
ロックガーデンは北沼手前の一面の岩礫帯。視界の悪い時は、ペンキ印や靴跡を頼り に登ることになる。ここまで通常コースタイムの2倍近い時間がかかっていたものと思われる。  岩がごろごろしていて歩きにくく、おまけに風雨は依然強いので、パーティの足並み は乱れ始めたが、なんとかまとまって進んでいた。ロックガーデンの途中で、静岡のパーティが追い抜いていった
ロックガーデンが終わった先で、登山道の沢状の窪地で風を避けて休憩、皆それぞれ 行動食や水分をとる。その上の広い平らで風がまた一段と強くなった。
 
▼女性客G(64歳)
 
「ロックガーデンの登りで、男性客M(66歳)さんが脚を空踏みし出して、ふらふら歩い ていた。支えて歩かせていたが、次第に登る気力が失せたのか、しばしば座り込むよう になった。これでは自分の体力が持たないと考え、ガイドに任せた」
 
▼女性客H(61歳)
 
「過去の経験から言ったら、こういう日は歩くべきではないな、と思った。以前、アミューズのツアーで剱岳にトライした時、風雨が強く、前剱で引き返したことがある。三十代 のまだ若いガイドだったが、彼の説明に皆、納得して下山したことがあったから」
「北沼の手前で、リーダーA(61歳)さんの黒い大きなザックカバーが飛んだ。私の帽子 も飛ばされた」
 
△ガイドC(38歳)
 
「ものすごい風になった。とてもではないが、まっすぐに立って歩けない風だ。記憶では 冬の富士山くらいの強風だった」
 



■北沼渡渉点 10時00分ごろ
 
トムラウシ山頂直下の南北には、2つの小さな瞳のような北沼と南沼がある。夏には 残雪がその青々とした湖面に映えて美しく、登頂前に一服できる所。ところがこの日は、 その北沼の様相が一変していた。沼からの水が氾濫して、川幅2mほどの流れになって いた。  ガイドB(32歳)が流れの中に立って(水深は膝下くらい)、手渡しでメンバーを渡す。  ガイドC(38歳)も同じようにフォローしていたが……。
遅れていた3人のメンバーをリーダーA(61歳)とガイドB(32歳)がサポートして渡 し、全員、渡渉を終える。「どこか風を避けられる所はないか」というリーダーAのリ クエストに応えるべく、ガイドBが出発しようとしている時、ガイドC(38歳)から「ずっ と肩を貸して歩いてきた女性客J(68歳)の様子がおかしい」との指摘がある。スタッ フ3人は懸命に女性客Jの体をさすったり、声を掛けて励ましたり、暖かい紅茶も飲ま せたりしたが、しだいに意識が薄れていった。
当初、リーダーA(61歳)とガイドC(38歳)が付き添っていたが、リーダーA自身 が残り、結果的には2人でここでビバークすることになる(第1ビバーク地点)。
渡渉開始からここまでの時間は、30分くらいと思われる。渡渉を終えた段階で、ま た一段と風が強まり、息のない(弱くなる瞬間がない)、ずっと吹き続けるような風に なった。メンバーは小さな岩陰に三々五々座り込んでいたが、風に曝され、すぐには立 てそうもない状態だった。  このころ、男性客C(65歳)が誰言うともなく叫んだ。
 
△ガイドC(38歳)
 
「お客様を支えている時に風で体を持って行かれ、全身を濡らしてしまった。お客様がふ らついた拍子に、後ろに飛ばされたわけだが、自分のザックが大きかったので、風の抵 抗も強かった。最大のミスで、一気に体温が下がっていった」
 
▼女性客G(64歳)
 
「北沼は白く大きく波打っていた。小さな沼がこんなに、と怖かった。渡渉後、その先で 皆休んでいたが、女性客K(62歳)さんが嘔吐し(何も出ない)、奇声を発していた」
 
△ガイドB(32歳)
 
「一般的に必要な程度の知識として低体温症は知っていた。だから、女性客J(68歳)さんがおかしくなった時、僕も駆け寄って後ろから彼女を抱きかかえたが、ガイドC(38歳) の呼び掛けに対する反応が薄く、体を動かそうとしない状況だった。当然、その時『低体温症じゃないかな?』と思った。だが、直前の渡渉時点では典型的な前兆がなく、空 身とはいえ自分で歩いて渡っているので、本当に驚いた。あまりにも急激だった」
 
△ガイドC(38歳)
 
「リーダーA(61歳)が『俺が看るから』と言うので、『それじゃ、お願いします。私は本 隊を追いかけますので』と言って別れた。彼は男性客D(69歳)が貸してくれたツエルト で女性客J(68歳)を包んでさすってあげていた。風が強いので、ツエルトを巻こうにも 巻けない状態だった。そのころの彼の表情は、どこか虚ろだったように思う」
 
▼女性客H(61歳)
 
「リーダーA(61歳)さんは度々お世話になっているが、特別調子が悪そうには見えなかっ た。ただ、ザックカバーを飛ばされているので、体もザックも濡れて、寒いだろうな、 と心配していた」
 
▽男性客C(65歳)
 
「全然動きがないので、『どうするんですか?』とリーダーA(61歳)さんの所へ自分で行っ た。そうしたら『様子を見る』ということで、それでも待っていたけど何も指示がない ものだから、『これは遭難だから、早く救助要請すべきだ!』と大声で叫んだんだ」
 
 
■北沼分岐  10時30分ごろ
 
女性客J(68歳)の付き添いにリーダーA(61歳)とガイドC(38歳)を残して、本隊 は風を避けられる地点に移動を開始する。ところが、雪渓の上まで出た段階でガイドB (32歳)が振り返ると、ガイドCが追いついて、通常位置の列の中ほどに戻っていた。 しかも人数を確認すると2人足りない。ガイドCに先導を頼み、ガイドBが北沼分岐(南 沼へトラバースする湖岸道とトムラウシ山頂へと登る道の分岐)に戻ってみると、女性 客N(62歳)と女性客H(61歳)がまだ残っていた。
 
▼女性客H(61歳)
 
「北沼渡渉点を過ぎて立ち止まった所で、体が一気に冷え込んできた。パーティの後方に いたので休むスペースがなく、少し離れた所でがたがた震えて座っていた。腕で押えて も止められないほど全身が震え、歯ががちがち鳴った。その時一瞬、『あぁ、これで私は 死ぬんだろうか』と思った。しかしすぐ、『ここで倒れるわけにはいかない。6年前から 体が不自由で寝込んでいる妹の面倒は、誰が看るんだ。私は決して死んではならない!』 と強く誓った」
 
▼女性客A(68歳)
 
「北沼では猛烈に寒く、体が勝手に震えて止まらなかった。そのうち眠くなり、どうで も良くなった。『あぁ、私はここで死ぬのかなぁ』と思った。だが突然、『ここでは絶対 に死ねない。年老いた母親の面倒は私しか看られない。何がなんでも生きて帰るんだ!』 と覚悟した」
 
 
■第2ビバーク地点
 
ガイドB(32歳)は女性客N(62歳)とH(61歳)の体やザックを背負い、それぞれに 目が届く範囲で何回か往復して前進する。雪渓を登り切った所に歩行不能な女性客(I 59 歳)に付き添って、元気な男性客D(69歳)が休んでいた。本隊(ガイドC〈38歳〉+メン バー10人)は雪渓上部の2、3分先で待っていたが、女性客3人が歩けない状態なので、 ガイド2人で協議する。
 
△ガイドB(32歳)
 
「詳しい話の内容は覚えていないが、その先のルートを知っているのは自分なので、僕が 歩行可能なお客さんをまとめて前進した方がいいのでは、と迷ったが、ガイドC(38歳) との話し合いの中で、やはり自分が残った方がいいと感じた。彼は自分のダメージにつ いて話さなかったし、僕もまさかそんな状態とは知らなかった。後で話を聞いて思い返 してみると、ガイドCはここでビバークできるような状態ではなかったのかな、と思う」
 
▼女性客H(61歳)
 
「北沼分岐付近では、女性客N(62歳)さんの後ろを歩いていたが、彼女は何ごとか叫び ながら、四つん這いで歩いていた。私も同じような状態で、やがて記憶を失くした。ど こで倒れたか記憶にない。最初の停滞地点から5分くらいの場所だと思う」
 



■11時30分~12時00分ごろ
 
協議の結果、ガイドB(32歳)とともに歩行不能な女性客3人と付き添いで男性客D (69歳)がここに残ってビバーク、ガイドC(38歳)が引率して歩行可能と思われるメン バー10人を下山させることに。
 
△ガイドC(38歳)
 
「ガイドB(32歳)に『10人連れて下ってくれ』と言われたが、この時点で僕も低体温症の症状が出ていて、道も知らないし、正直言って自信なかった。この中で一番体力の残っ ている彼の方がいいのでは、と思ったが、2人で論じている余裕もないし、最終的に彼の指示に従った」
 
△ガイドB(32歳)
 
「当然迷いはあったが、混乱とかパニックという状態ではなかった。あのような状況で混 乱やパニックが一番危険ということは分かっていた。ただ、選択肢がいろいろあり、優 先順位もあったので、そういう意味での混乱はあった」

 
(注)この先、本隊自体も幾つかのグループに分かれるので、登山コース上の地名を追って記述して いくが、時系列的には前後することがあるので注意を。
 
「動ける人は、私に付いてきて下さい」というガイドC(38歳)の掛け声で本隊は下山 を始める。巻き道は、雪渓の先で大きな岩がごろごろした、トムラウシ山頂からの岩礫 帯のスロープを越えると、平坦になって南沼キャンプ場へと続いている。
昼食後、ガイドC(38歳)の後に男性客E(64歳)と女性客G(64歳)、男性客F(61歳) が続いて再スタートする。しかし、歩き出して間もなく、後続していた男性客M(66歳) が遅れ出す。
一方、衰弱していた女性客K(62歳)と女性客L(69歳)も歩行が覚束なくなる。この ころには風も弱まり、雨も止んでいた。
 
▼女性客G(64歳)
 
「ビバーク地点から少し歩いたのち、風がやや弱くなった大岩の陰で『ガイドC(38歳) さん、何かちょっとお腹に入れません?』と呼び掛けた。自分でも冷静だったと思う。 行動食もしっかり食べ、水分も取った。ところが、女性客K(62歳)さんが意味不明の言 葉をしゃべり出した。そこで『Kさん、何か食べないと、歩いて下山できないわよ』と 励ました。何か少し食べたようだ。ここで初めて『死にたくない!』と思った」
 
▼女性客A(68歳)
 
「昼食後、あまりに寒いので、購入後初めて(前夜、ヒサゴ沼避難小屋ではマット代りに 使用)ザックの一番上に出しておいたレスキューシートを体に巻きつけ、その上に雨具を 着た。全然寒くなかった。もしかして、私はこれで助かったのかも」
 
▽男性客F(61歳)
 
「引き返してみると、M(66歳)さんが直立不動で立ち止まっているのが見えた。岩場の 通過ではMさんを抱えて歩かせ、ほかの女性たちを先に行かせた。さらにMさんをなん とか歩かせようとするが、脚を出せと言っても、左右の区別ができない。平らな場所で もしゃがみ込んで、立ち上がれない。なぜ歩けないのか、自分には分からなかった」
 
▼女性客A(68歳)
 
「岩場の頂上に、女性客L(69歳)さんを支えながら引き上げて前方を見たら、ガイドC(38 歳)さんがどんどん先に進み、消えた。女性客Lさんを助けていると、今度は女性客K(62 歳)さんが転ぶ。2人ともまっすぐ歩けない。自分も荷物を背負いながらだから、きつかっ た。やがて足が攣ってきた」
 
▼女性客B(55歳)
 
「その時振り返ったら、女性客A(68歳)さんが女性客L(69歳)さんを抱えて下りていた。 女性客K(62歳)さんと女性客O(64歳)さんは私の後ろにいたが、やっぱり自分を含め 皆、ちゃんと歩けてないな、と思った。そんななかで、他人をかばって、すごいことをやっ ている人がいるんだ、と感心した」
 
■南沼キャンプ場  13時30分~50分ごろ
 
男性客F(61歳)は男性客M(66歳)を歩かせようとするが動かせず、やむなく諦める。 南沼キャンプ場の5分ほど手前と思われる。  2人の前方を進んでいた女性群も難渋していた。女性客A(68歳)は、追いついて来 た男性客F(61歳)に、女性客L(69歳)と女性客K(62歳)のサポートを頼み、先に進む。
 
▽男性客F(61歳)
 
「南沼キャンプ場の先だと思うが、女性客3人に追いついた。女性客A(68歳)さんは元 気で、救助要請に急ぐというのでそのまま行かせた。女性客K(62歳)さんはぐったりし ていたし、女性客L(69歳)さんは奇声を発していた」
 
■トムラウシ分岐
 
ガイドC(38歳)の記憶では昼食後、トムラウシ分岐までは15~20分で着いた模様。 ここは南西からトムラウシ山山頂へ登るための分岐で、彼が立ち止まって振り返ったと ころ、列がばらけて、彼の見る限りでは8人しか来ていなかった。しかし、2人のため に引き返すだけの余力が、体力的にも精神的にももうなかった。4人用テントも持って いたが、とてもそれを建てるだけの力は残っていなかった。  それでも、トムラウシ山の南側に回り込めば携帯電話の電波が通じるだろう、歩ける 所まで歩こう、と再び歩き始める。付いて行けたのは男性客E(64歳)と女性客G(64歳) だけ。あとのメンバーは確認できていない。
 
△ガイドC(38歳)
 
「低体温症の知識は、文字の上では知っていた。しかし、実際に自分がなってみて、こんなにあっけなくなるんだと感じた。この分岐に着いた辺りから『あぁ、俺はもう死ぬんだ』 と思い始めていた」
 
■トムラウシ公園
 
トムラウシ分岐を過ぎると緩い下りのトラバース道となり、トムラウシ公園に続く。 その公園の上部で、男性客F(61歳)に見守られながら、女性客K(62歳)の意識がしだ いになくなり、続いて女性客L(69歳)も静かになった。  同じく女性客B(55歳)と女性客O(64歳)も衰弱していた。
 
▼女性客B(55歳)
 
「登山道の脇に草むらがあり、大きな岩もあって休めそうな感じだった。自分でなんとな く、とっさに判断して、女性客O(64歳)さんに『ここで救援を待った方がいいんじゃな い?』と声を掛けたが、それまでしっかり歩いていたのに、何も反応がなかった」
 
▽男性客F(61歳)
 
「雪渓が見えて、その向こうから女性の声がした。女性客B(55歳)さんと女性客O(64歳) さんで、通りすがりに様子を見たが、やはり救助要請に行こうと思いその場を離れた」
 
■16時28分
 
女性客B(55歳)が警察に電話をしたが不通。着信記録は残っていた。  女性客Bは自分のシュラフを女性客O(64歳)に掛けて介抱していたが、18時30分 ごろ、冷たくなったので、自力下山を考える。しかし、もうすぐ暗くなって道に迷うこ とも考えられるので、ここでの初めてのビバークを決意する。意識のなくなった女性客 Oのザックからシュラフを出して彼女に掛け直し、翌日早朝からの下山に備えて自分の シュラフとマットに横たわる(第3ビバーク地点)。彼女の高度計で1850mだったとい うが、トムラウシ公園の上部と思われ、女性客K(62歳)と女性客L(69歳)の2人は、 その少し上と推測される。  後方にいた男性客C(65歳)が追い越していく。
 
■前トム平  15時00分ごろ
 
ガイドC(38歳)と女性客G(64歳)が前トム平に到着する。このころには雨も上がり、 風もそんなに吹いてはいなかった。
 
▼女性客G(64歳)
 
「ガイドC(38歳)さんは、下りなければ携帯電話は通じないと思っていたようだ。だからとにかく急いだが、彼自身ふらふらで、よく転んでいた」
 
■15時54分
 
やがて女性客G(64歳)の携帯電話に、ご主人から電話が入る。昼過ぎから1時間お きに掛けていたようだ。それを聞いたガイドC(38歳)が、彼女の電話で今ツアー最初の110番通報を依頼する。
やがて男性客E(64歳)が降りて来て、ガイドC(38歳)に「ザックを下ろして、助か りたいなら、空身で下山しなさい」と言ったが、ガイドCはハイマツにひっくり返っ て動かない。女性客G(64歳)も「あなたには子供が3人もいるんでしょ。生きて帰ら んといけんよ。ここで死んではいけんよ」とハッパを掛ける。  ガイドCが「自分はもう動けないので、2人で降りてくれ」と言うので、女性客Gは 「じっとしていたら寒くてやりきれない。それじゃ、男性客Eさんと一緒に降りますよ」 と声を掛けて出発する
 
▼女性客G(64歳)
 
「電話は度々通じては切れた。『そこはどこですか?』と問われたが、指導標がない(実際 は前トム平には立派な指導標あり)ので答えられなかった。そこでガイドC(38歳)さん に代わり、彼がなんとか答えたが、ほとんどもう呂律が回らない状態で、盛んに『ポーター、 ポーター』と叫んでいた」
 
△ガイドC(38歳)
 
「呂律が回ってなくて、自分でも何をしゃべっているのか分からない状態だったが、『4人 自力下山できない』ということと、『なんともならん』ということは、伝えたと思う。警 察もそれを確認していた
 
■前トム平下部  17時21分
 
前トム平で2人を見送ったのち、ガイドC(38歳)は意識のはっきりしないまま下降、 前トム平の下部、巨岩のトラバース帯のそばのハイマツの中に倒れていた。彼は女性客 G(64歳)の携帯電話による110番通報後も、自分の携帯電話で何回か110番に電話し ていた。それは発信履歴に残されており、最初の発信が17時21分である。
やがて、トムラウシ分岐で男性客C(65歳)に追いついた女性客A(68歳)が、2人で 下りてくる。
 
△ガイドC(38歳)
 
「110番通報が通じて、自分の中で緊張の糸が切れた。最後に煙草を1本吸って死のうと 考えたが、ライターが何遍やっても火がつかない。『あぁ、煙草も吸えんうちに死んじゃ うんだ』と思いながら、そこから先はもう記憶がない」
 
▼女性客A(68歳)
 
「ガイドC(38歳)さんが、ハイマツの上で大の字になっていた。そこで私は『ガイドC さん、あんたガイドなんだから倒れてないで、まずは警察に電話して! そして、上の 方で弱っている4人の女性たちのために、あんたの持っているテントを張ってあげて』 と叫んだ」
 
しかし、ガイドC(38歳)の反応は朦朧としており、動作ものろのろだった。一生懸 命携帯電話の番号を打つが、さっぱりつながらない。それを見た男性客C(65歳)も叱 咤しながら下りていった。
 
■コマドリ沢下降点
 
女性客A(68歳)が用を足していると、男性客F(61歳)が下りて来た。「上の女性た ちの所へ戻ろうか、それとも下ろうか思案している」と告げると、「もうかなり下まで 下りて来ているよ」とのことで、2人で下山を決意する。ここからヘッドランプをつけ て歩く。  道はジグザグを切ってコマドリ沢に下り、カムイサンケナイ川を渡って、新道を再び 対岸に急登する。後は樹林帯の長大な尾根道を、ひたすらトムラウシ温泉を目指す。
 
■カムイ天上付近
 
カムイ天上は、距離的にトムラウシ山とトムラウシ温泉のちょうど中間点くらいに位 置する
先行していた男女ペアに続き、2組目の男女ペアも下りてきた。途中で(場所不確実) 先に下山していた男性客C(65歳)に追い付く。「俺は歩くの遅いから、先下って」とい うことで2人は先行する。
 
▼女性客G(64歳)
 
「カムイ天上の少し手前でライトをつけた。先行した静岡の6人パーティの靴跡やストッ クの跡が残っていたし、植物の垂直分布の変化で大体の現在地は分かっていた。荷物も さして重く感じなかった。いくらでも歩けるような気分で、少しハイになっていたのだ ろう」
 
■トムラウシ温泉  23時55分
 
女性客G(64歳)と男性客E(64歳)がトムラウシ温泉コースを下山、温泉手前の林道 で報道の車に拾われ、短縮コース登山口へ。
 
▽女性客G(64歳)
 
「あれだけ待ち望んでいた温泉も、シャワーを浴びただけだった。睡眠時間も短く、いつ までも疲れを感じず、ハイな状態が何日か続いた。その後どっと疲れが出た。なお、直 接死亡シーンを見ていないので、最後まで遭難の実感が湧かなかった」



★捜索関係者の動き
 
 
■17時00分ごろ
 
15時54分の前トム平からの110番通報を受けて、北海道警察ヘリコプターによる捜索を開始するが、悪天候による視界不良のため、40分ほどで捜索を断念する。
 
■22時00分
 
新得警察署と決めた定時連絡時刻。ビバーク中のガイドB(32歳)から新得署への連絡はなし。
 
■22時15分ごろ
 
救急車が短縮コース登山口に到着する。
 
■23時00分ごろ
 
新得署からビバーク中のガイドB(32歳)に電話を入れるが、電波状況不良のため不通。
 
■23時45分ごろ
 
新得町が北海道を通じて正式に自衛隊へ救助要請をする。
 
 
★以下はビバーク・パーティの行動概要
 
 
■第2ビバーク地点 11時30分~12時00分ごろ
 
北沼分岐の先、雪渓を登り切った所で、ガイドB(32歳)はビバークを決意する。こ の段階では雨は降っておらず、風もあまり強くはなかった。本隊を率いるガイドC(38 歳)に、トムラウシ分岐で下山方向を間違えないように、また、10人いるかどうか確認 してから下りるように、注意を与えて送り出す。  再び4人の所に戻り、ツエルトを張る。持っていたツエルトでは5人は十分に入りき れないので、男性客D(69歳)にも手伝ってもらってマットを敷いて、女性客(I 59歳)、 女性客N(62歳)、女性客H(61歳)を寝かせ、ツエルトを被せるようにする。ガイドB も一緒に入って、添い寝するようにして、体をさすり保温に努める。泣き出したり、大 声で叫んだりする女性がいた。
ツエルト内を落ち着かせたのち、男性客D(69歳)に付き添いを頼んで、ガイドB(32 歳)は南沼キャンプ場に向かう。
 
△ガイドB(32歳)
 
「その時、リーダーA(61歳)が動ければ、追いついてくるだろうという可能性や希望が 僕の頭の中にあって、彼が来たら男性客D(69歳)さんと3人で、4人の女性客をなんと かできるのでは、と考えていたのだが……」
 
「南沼キャンプ場で、もしかしたらテントを張っている人たちがいて、力を貸してもらえ るかも、とか、南沼付近で携帯電話の電波が通じるという話を聞いたような覚えがあっ たので、そちらに偵察に出た」
 
■16時38分
 
ガイドB(32歳)は南沼へ向かいながら、携帯電話で「短いメールなら送れるかもし れない」ということで、何回もトライする。何回目かにメール自体はアミューズトラベ ル社の堀田札幌所長に送信できた模様。内容は「すみません。7人下山できません。救 助要請お願いします。トムラの北沼と南沼の間と、北沼の2カ所です」
 
■南沼キャンプ場
 
その先、南沼キャンプ場の手前で男性客M(66歳)がうずくまっていた。声を掛けた が反応がなく、首筋に触れても脈はなかった。さらに南沼のキャンプサイトに行くと、 青いビニールシートの塊が2つあった。中を開けるとテントや毛布、ガスコンロなどが あったので、担いだり手に持ったりして来た道を戻った。途中、男性客Mに毛布を掛けてあげ、ビバークサイトに帰着する。
 
■17時04分
 
次のメールは「すみません。8人です。4人くらい駄目かもしれないです。リーダー A(61歳)さんも危険です」というもの。ただ、時間的には本隊の方の、前トム平から 女性客G(64歳)の携帯電話で通報した110番の方が早かった。
 
■第2ビバーク地点18時00分ごろ
 
ビバークサイトに戻ったガイドB(32歳)は、再び男性客D(69歳)に手伝ってもらっ て一段低い平地にテントを建て、マットを敷いて、女性客3人を抱えて運び入れる。そ の時点で女性客N(62歳)が危険に見えたが、声を掛けたら反応があったので、急いで ガスコンロに火をつけた。再度声を掛けたら反応がないので、心臓マッサージを20分 くらい行なったが蘇生せず。残りの女性も元気がないので、声を掛けて励ます。
 
▼女性客H(61歳)
 
「とにかく寒くて気がついたら、テントの中で女性2人と並んで寝かされていた。夕方だっ たから19時ごろか? ガスコンロが一晩中、燃えていた。それでも寒いのでダウンを着 て、さらにガイドB(32歳)さんがレスキューシートを貸してくれた。それでもなお、自 分は低体温症だとは思っていなかった」
 
■南沼キャンプ場
 
ガイドB(32歳)は、女性客2人にお湯を飲ませたり、ガスコンロの火に手をかざし てあげたり、抱きかかえて保温に努めたりした。やがて、2人の状態が落ち着いてきた ので、男性客D(69歳)に火の番をお願いして、水汲みを兼ねて再び南沼を往復する。 デポ品の中からさらにガスコンロやボンベ、毛布を持って帰ったが、途中、携帯電話の 電波が安定した場所があったので、堀田所長に電話して状況を説明する。先ほどのメー ル(16時38分、堀田所長に着信)と前トム平からの110番通報で、現地警察が動いてい ることを確認する。
 
■19時10分
 
次いで本社の松下社長と話す。直接、新得署と話をしてくれ、とのことで、警察と何 回かやり取りする。「対応を協議して連絡するから、携帯電話の電波が届く所で待って いてくれ」というので、キャンプ場の近くの岩陰で毛布にくるまって待ちながら、20 時くらいまで電話する。  辺りは暗くなってきた。ガイドB(32歳)は、テントを出る時にヘッドランプを持っ て来ていなかったので、手探り足探りでなんとか帰幕する。テントを出てから戻るまで 1時間くらいかかったようだ。そのころ、雨は止んでいて、空も明るく、月明かりもあっ た。
 
■20時00分ごろ
 
ガイドB(32歳)がテントに戻ると、女性客(I 59歳)が20時ごろ、意識不明になった。という。10分ほど心臓マッサージを施したが、蘇生せず。一方、女性客H(61歳)は元 気を回復しており、男性客D(62歳)と行動食を食べていた。南沼では水が汲めなかっ たので、ペットボトルを持って北沼の雪渓に汲みに行く。また、亡くなった2人にシュ ラフと毛布を掛ける。後は男性2人で交代に火の番をし、3人とも雨具を着たまま膝を 抱えて座り、うとうとして朝を待った。



(2009年7月17日)
 
 
 
■0時55分
 
男性客F(61歳)と女性客A(68歳)がトムラウシ温泉登山コースを下山。温泉手前の 林道で報道の車に拾われ、短縮コース登山口へ。
 
■1時10分
 
自衛隊員が新得署に到着。
 
■3時40分
 
女性客B(55歳)がトムラウシ公園の第3ビバーク地点から歩き始め、前トム平へ下降する。
 
■3時53分
 
警察、消防署員の各3人、計6人が短縮コース登山口から合同捜策を開始する。
 
■4時00分前
 
4時前くらいに明るくなってきて、風はなく天気は晴れ。ガイドB(32歳)が第1ビバー ク地点まで行く。リーダーA(61歳)はうつ伏せで、雨具の上下を着たまま女性客J(68 歳)と倒れていた。ツエルトは風で飛ばされ、近くの岩に引っ掛かっていた。その場は ツエルトだけを回収して戻る。第2ビバーク地点からは、空身でわずか5分ほどの距離 だった。
 
■4時38分
 
道警航空隊および自衛隊ヘリコプターなど3機が捜索を開始する。  道警ヘリがトムラウシ公園で意識不明の女性1人を収容する。女性客K(62歳)か女 性客L(69歳)。
 
■4時45分
 
トムラウシ温泉コースで下山中、1時半から2時間ほどビバークしていた男性客C(65 歳)が、トムラウシ温泉に自力下山。
 
■5時01分
 
道警ヘリがトムラウシ公園で意識不明の女性1人を収容する。女性客K(62歳)か女 性客L(69歳)。
 
■5時16分
 
道警ヘリが前トム平で自力歩行可能な女性客B(55歳)と、さらに意識不明の女性1 人を収容する。女性客O(64歳)。
 
■5時35分
 
道警ヘリが南沼キャンプ場付近で意識不明の男性1人を収容する。男性客M(66歳)。
 
■5時45分
 
道警ヘリが北沼西岸で手を振っている2人と、倒れている2人を発見する。
 
■6時50分
 
陸上自衛隊ヘリが第1および第2ビバーク地点でガイドB(32歳)と男性客D(69歳)、女性客H(61歳)を、さらに意識不明のリーダーA(61歳)と女性客J(68歳)、女性客I (59歳)、女性客N(62歳)を収容する。
 
▽男性客D(69歳)
 
「低体温症で疲労し、意識が朦朧としている人を担いでテントに入れる場面は、いくら考 えても何が原因か、摩訶不思議だった。トムラウシは『魔の山』として記憶した。次の 日は快晴なんだから……。写真も撮った。ガイドB(32歳)さんに『あれはなんという山?』 と尋ねたところ、『あれがトムラウシです』と教えてくれた。往復で40分くらいだと言う。 私は本当に、行ってみようかな、と思ったくらいだった」
 
■10時44分
 
前トム平下部のハイマツの中で倒れていたガイドC(38歳)が登山者に発見され、110 番通報される。のちヘリで収容されたが、捜索開始から6時間以上もかかっている。無 事下山した参加者から的確、迅速に情報を収集しておれば遭難地点が確定でき、もっと 早く収容できたのではなかろうか。
 
■12時00分
 
道警がすべての捜索活動を終了する。
 
 
*7月16日の記述は、パーティがいくつにも分散したため、登山コースに沿った記述と時系列が一部 前後しておりますので、ご承知おきください。
 
 
★遭難事故パーティ
 
ガ(A) 男 61 死亡
ガ(B) 男 32 生存
ガ(C) 男 38 生存
男(E) 男 64 生存
男(F) 男 61 生存
男(C) 男 65 生存
男(D) 男 69 生存
男(M) 男 66 死亡
女(G) 女 64 生存
女(A) 女 68 生存
女(B) 女 55 生存
女(K) 女 62 死亡
女(L) 女 69 死亡
女(J) 女 68 死亡
女(H) 女 61 生存
女(I) 女 59 死亡
女(O) 女 64 死亡
女(N) 女 62 死亡
 


 
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出典元:トムラウシ山遭難事故報告書
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E5%B1%B1%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか

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