夜の白出沢遡行
1年前の夏、奥穂岳(3,190メートル)目指して新穂高温泉から入山。
奥穂には何度も登っているし、岐阜県側からのアプローチも通ったことがある。ナイトハイク前提になってしまい、出発は14:30ということなった。
長い林道を歩き通し、しらだし沢に着いたのが16:30。ふつうの山屋はとっくに山小屋なりテン泊なりしている時間帯だが、これから標高差2,000メートルをやっつけるのである。自信はあった。まったく愚かだった。
沢を詰めはじめてすぐ、天候が崩れ出す。途端に猛烈な土砂降りに見舞われた。慌ててカッパを取り出してかぶる。最初はどうということもなかったのだが、夏とはいっても北アルプス、2,000メートル以上ともなれば気温は寒いくらいだ。それに加えて雨。ぐんぐん体温が奪われていくのがわかった。
18時に沢を横断、ここからは足元の悪いガレバが一直線に、標高3,000メートル付近のしらだしのコルまで続いている。この登りは前回通ったときもかなり手こずった記憶がある。とはいえここを登り切らないと山小屋はないし、途中にテントを張れるようなスペースはまったくない。一度登り出したが最後、やり切るしかない。
登りは困難を極めた。雨のせいで体温が奪われ、日没により道がまったくわからない。さらに悪いことに濃い霧が出てきて、あたりは迷宮と化した。ヘッドランプの光は霧で乱反射して使いものにならず、1メートル先も満足にわからないようなありさまだった。
何度もルートをロストし、慎重にもときた道へ引き返す。この霧だと一度迷ったら正規ルートに戻ってこられる可能性は低い。すでに体力を消耗し、雨によって体温も下がっている。真夏で低体温症になって死ぬ山屋を見下していたけれども、このときばかりは事情がわかった。震えが止まらない。身体機能が目に見えて低下していくのがわかる。
どれくらい登っただろうか。たぶん19:30くらいだったろうか。幻覚を見始めた。それまでははるか遠くに見えていた穂高岳山荘のあかりが、不意に目の前に移動してくる。まばたきをすると山荘は姿を消している。するとまたもや山荘が数10メートル先に見えた。近づいてみると、それは単なる巨岩だった。
本格的にまずいな。携行していたチーズをかじりながら、まだそんなことを考える余裕は残っていた。雨は止んだけれども、そのぶん霧の濃さがますますひどくなり、岩に描かれたマークを追うのが非常に困難になってきた。ビバークを考えなかったわけじゃないが、傾斜がきつすぎる。とてもテントを展開できるスペースはないし、そのまま横になれば風と雨で低体温症になるおそれがあった。登りきるしかない。
正確な時刻はわからないが、たぶん20:30くらいだったと思う。この地獄が続くような錯覚と戦ってたときに、濃霧から登山パーティがまったくだしぬけに現れた。彼らは幻覚にしては強烈なリアリティがあった。手を伸ばせば触れられるのではないかと思ったほどだ。
道はたいへん狭く、すれちがうにはどちらかが脇へ避けねばならない。山側の岩に背中をつけて道を開けた。すると先頭のおっさんが顔を上げて、「どうもすいません」と確かにしゃべった。
ここで初めて彼らの姿をしっかりと観察した。べつにザクロみたいに頭が割れているとか、体のあちこちが欠損しているとか、そんなことはなかった。どう見ても生きている人間だった。遭遇した時間が昼間なら、まったく不自然な点はなかっただろう。ところがいまは夜の20時で、濃霧という最悪の天候である。
先頭のおっさんとすれちがうと、人数の多いパーティだったらしく、次から次へと登山者が降りてくる。一寸先は闇の濃霧から、忽然と人間が吐き出されてくる。みんなどこにでもいるなりのおっさんだった。ただ人数が異常だった。冗談じゃなく無限にいるんではないかと思うほど、行列が途切れることなく霧の向こうから吐き出されてくるのだ。
誰もがまるで昼間の晴天のなかを歩いているみたいに、確かな足取りで歩き、対岸の笠ヶ岳が見えるかのようにニコニコしていた。ほとんどの登山者が脇へ避けていることに対して「すいません」だの「ありがとう」だの一言かけていく。1人くらいならまだわかる。数人人でもまあ、穂高くらい有名な山になら無茶をやる人間がいてもおかしくはない。けれどもこの時間、この天候のなか、100人は下らない大パーティで危険な沢を下降するというのは完全に狂気の沙汰だ。
「夜間訓練かなにかですか」とは最後まで聞けなかった。なにか見当ちがいの回答をされそうな気がした。
ふと気がつくと、誰ともすれちがっていないことに気づいた。霧の向こうからは誰も歩いてこない。それでもすぐに歩き出せなかった。この霧の向こうに入ると、どこかよその山へ放り出されるような気がした。
20分くらいはじっとしていただろうか。不意に霧が晴れ始めた。晴れるときは本当に一瞬で晴れるものだ。あれだけ悪かった視界がクリアになって、歩くのにはなんの支障もなくなった。気が進まないままゆっくり歩を進めてみた。妙な場所へワープするようなことはもちろんなかった。
やがて目の前に石垣らしき人工物があるのに気づく。見上げるとすぐそこに穂高岳山荘があった。なぜあかりがついていないのか不思議に思う。また幻覚かもしれない。慎重に近づいていくと、今度こそ本当に山荘だった。時刻を確かめる。21:15。とっくに消灯している時間だったのだ。
ぼろぼろの死に体になりながら、扉を開ける。あかりの落とされた小屋の受けつけは当然閉められており、宿泊の手続きができない。ラウンジにいたスタッフたちが駆けつけてくれて、今日はそこらへんのベンチで寝たらいい、お金はあとで払えばいいさと教えてくれた。彼らに感謝しつつ、ベンチにシュラフを展開し、飯も食べずに横になった。
硬いベンチは当然寝心地は最悪で、これだけ疲れているにもかかわらず、まったく寝られなかった。うとうとすると決まって、霧の向こうから現れた例の団体が脳裏によみがえる。
彼らは無事に下山できたのだろうか。
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出典元:本当にあった怖い話
http://sakebigoe.com/stories/190602025853762/2