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御嶽山噴火 生還者の証言

御嶽山噴火 生還者の証言

2014年9月27日、

58人が死亡、

5人が行方不明となった

戦後最悪の火山災害、

御嶽山(おんたけさん)=長野、

岐阜両県=の噴火から

東京都内の40代の女性が

初めて取材に応じた。

火山灰が積もった山頂付近で、

周囲の登山客が次々と息絶える中、

生還を信じ救助を待ち続けた女性。

「備えの大切さを伝えたい」。

噴火で受けた傷は今も癒えないが、

当時の状況を振り返る決意をし、

「あの時」を語った。



もう手を振る力は

ほとんど残っていなかった。

噴火から一夜明けた

平成26年9月28日

午前11時半。

火口付近の八丁ダルミにある

石像の石造りの台座に

寄りかかった女性は、

頭上を飛び交う自衛隊などの

ヘリに向けて救助を

求めようとしたが、

わずかに右手を振るのが

やっとだった。

降りしきる噴石で左腕を失い、

腰や背中にも傷を負った。

動くたびに激痛が襲い、

貧血で何度も意識が遠のいた。

「私に気付いていないのかもしれない」。

なかなか近づいてこないヘリを

見ながらそう思っていると、

手元の携帯電話に着信があった。

「どこにいますか」。

災害対策本部からの電話だった。

前日、ともに山を登り、

無事助かった友人が、

通報していてくれたのだ。

しばらくすると消防の

ハイパーレスキュー隊が

到着した。

「がんばってね。がんばってね」。

女性を乗せた担架を運ぶ

隊員が励ましの声を送り続ける。

まもなく灰に覆われた

王滝頂上山荘が目に入った。

「助かった」。そう思った。



救出された台座の周囲には、

前日までは確かに生きていた

登山客の男性が、

朝を迎えることができないまま、

息絶えて倒れていた。

「生き残れたのは噴石が当たる、

当たらないの運、

どこに当たったのかの

運もあると思う。

でも、少しだけ準備して

いったことも大きい」。

女性はそう振り返ると、

あの時の体験を語り始めた。

女性が登山を始めたのは

5年ほど前。

関東近郊の百名山を

中心に楽しんだり、

長期の休みには、

北アルプスへ遠出したりした。

山岳会には所属せず、

あの日も友人と2人で

御嶽山を訪れていた。

選んだのは長野県王滝村の7

合目にある田の原駐車場の

登山口から山頂へ向かう、

ごく一般的なコース。

噴火直前は、

友人と離れた場所で

八丁ダルミを

1人で歩いていた。

山頂までは、もうすぐだった。

「ぺースが上がらないし、

迷うところではないので

友人には先行してもらっていた」

変は音で気づいた。

何かがはじけるような

「ポン」という感じだったと

記憶している。

音がした方向を見ると、

黒煙がモクモクと上がっていた。

午前11時52分。御嶽山噴火。

だが現実と受け止められなかった。

「まさか、この山とは思わず、

どこか他の山かなという感じで…」。

においや揺れといった

確たる変化もなかったため、

直後は周囲の登山客と同様に

噴煙を写真に収めていた。



現実を突きつけられたのは10秒ほど後。

気付くと周囲は真っ暗に。

「逃げる時間はなかった」。

近くに身を隠せるような

岩も見えたが

「その場で立ち尽くすというか、

動けなかった」。

噴煙は、もう目前に迫っていた。

想像もできなかった御嶽山の噴火。

女性は迫り来る噴煙に背を

向けるしかなかった。

「(噴煙は熱く)サウナに

入ったような感じで

『焼け死ぬのか、

溶けるのかな』と思った」

噴石が襲ってきたのは

噴火から1分もしないころだった。

山梨県富士山科学研究所の

試算では、火口から噴石が

出た速度(初速)は

時速360~540キロ。

地面に衝突した際の速度は

最低でも108キロだったという。

女性にもそんな噴石が容赦なく襲い、

ザックで隠れていない

後頭部や腰を直撃した。

「折れたかなと思うほど、

これまで受けたことのない衝撃」。

実際に腰の軟骨は折れていた。

噴石の勢いが少し弱まったとき、

近くで一緒にしゃがんでいた

男性が声をかけてきた。

「起き上がれないから起こしてくれ」。

男性の体を支えてあげたが、

すぐにばったり前に倒れた。

どうすることもできず、

男性の口に付いた灰を

ぬぐってあげるしかなかった。

その直後、

噴石が再度襲ってきた。

最初より激しく降り注いだ

噴石は次々と体に直撃、

最後に身体が地面に

沈むくらいの衝撃を

左腕に受けた。

「痛い、熱い、しびれ。

味わったことのない感覚だった」

噴石の勢いが弱まり、

体を起こした。

周囲で動ける登山客は

3、4人。口をぬぐった男性は

亡くなっていた。

自身はおなかに

重たいものを感じた。

噴石の直撃でちぎれた

自分の左腕だった。

体に少しだけくっついた状態で

傷口から血が滴り落ちている。

「止血お願いします」。必死に叫んだ。



男性が手ぬぐいで止血を試みたが、

傷口に驚いたのか結びが緩く、

別の男性がきつく結び直してくれた。

腕をなくしたことは残念だが、

命を落とすことはなかった。

「とりあえずここまで乗り切れたから、生きよう」。

そう思った。

無事だった登山客に

下山しようと言われたが、

貧血がひどく、

腰にも違和感があった。

「歩けない」。

その場に残る決断をした。

100メートルほど離れた場所に、

身を隠せそうな石造りの

台座を見つけた。

左腕を抱き、

何度も気を失いながら、

足とお尻を使い、

尺取り虫のように進んだ。

途中にうずくまる

登山客の男性がいた。

「一緒に行きませんか」。

声を掛けると、

男性は時間をかけて

台座近くまで来た。

長い時間を費やして移動し、

台座を背にしたころには

日が沈みかけていた。

台座周辺には別の男性が一人いて、

携帯電話で通話していた。

相手は家族だろうか。

「今噴火にあって、

ちょっと無理かもしれないけど、

俺は絶対に帰るから」。そう告げていた。

夜になるにつれ風が強くなり、

標高3千メートルの

過酷な環境が女性たちを襲った。

女性は日が暮れる前、

台座の前を歩いて

通り過ぎようとした男性に頼み、

ザックの中から

ダウンジャケットと

簡易テントを出してもらい、

防寒対策として

体に巻きつけていた。

ふと携帯電話をみると、

一緒に登っていた友人から

何度も着信があった

形跡があった。

友人は無事だったんだ。

少しだけほっとして

折り返し電話を掛けた。

周りが暗くなる中、

ただ寒さに耐えた。

長野地方気象台によると、

標高1千メートル付近にある

御嶽山麓の開田高原で

噴火翌朝の最低気温は6・6度。

女性が一夜を過ごした

標高3千メートル付近は

氷点下だったことが想像される。

過酷な環境に耐えられたのは、

携帯電話から聞こえた

友人の励ましの声だった。

「私がここで死んだら

友人はきっと自責の念にかられる。

だから生き抜こう」。

勇気を振り絞った。



救助されたのは

噴火から丸1日が経過した

28日午後0時半。

台座の周囲にいた

2人の男性は

息を引き取っていた。

山にゴミを残してはいけないと、

テントやダウンジャケットは

ザックにしまった。

心身ともに負った大きな傷。

それでも経験を語ろうと

決意したのは、

連日のように自然災害の

脅威が伝えられる中、

御嶽山の噴火が

忘れ去られるのではないかと

危機感を抱いたからだ。

生死を分けたのは何だったのだろうか。

「御嶽山は初心者でも気軽に

登ることができるだけに、

十分な準備をしている方は少なかった。

生き残れたのは運もあるが

最低限の準備を

していったからだ」と言う。

性は登山の際、

日帰りでも簡易テントは必ず携行し、

3千メートル級の山には

ダウンジャケットも

持っていった。

夜になるまで生存していながら

周囲で亡くなった登山客は、

ダウンジャケットや

簡易テントは

持っていなかったようだった。

生死を分けたのは「その差」と思っている。

4月に職場復帰し、

山登りも再開したが、

火山へは二度と

登るつもりはない。

「もし山へ行かれる方は、

リスクを考え準備をしてほしい」。

最後にそう訴えた。


 
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出典元:産経ニュース
https://www.sankei.com/smp/affairs/news/150927/afr1509270004-s3.html

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