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【日々更新】山岳救助隊の独り言


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最新記事(2019年12月5日)

単独行加藤文太郎を受け継ぐ


加藤文太郎
 


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『単独行:加藤文太郎』を受け継ぐ

槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死したときは、『国宝的山の猛者 槍ヶ岳で遭難』と報道されました。著書『単独行』は、時代を超えた今でも、登山者の心に語りかける名著です。

先輩の先輩から受け継ぎ発行日は昭和50年3月5日発行を所持しています。

1905(明治38)年、3月11日兵庫県浜坂生まれ。

「不世出の登山家」と呼ばれ、北アルプスの冬期登山を中心に活躍した登山家です。

30歳のときに、槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死したときは、

『国宝的山の猛者 槍ヶ岳で遭難』

と報道されました。

後述しますが、当時の登山の常識を打ち破り、単独行で山を歩いたことから、

『単独行の加藤、地下足袋の加藤』

と呼ばれ、一目置かれる存在でした。

新田次郎の小説『孤高の人』では、実名で描かれています。

細部は違うものの、加藤文太郎のことを知るなら、最も手っ取り早い方法です。

また、著書『単独行』は、時代を超えた今でも、登山者の心に語りかける名著です。

当時の登山は、登山ガイド(猟師などの山案内人)を雇って行う、高級なスポーツでした。

裕福な人たちだけがグループを作って、山に入っていた時代だったのです。

そんななか、加藤文太郎は案内人も雇わず、たった1人で登山しました。

現代での単独行は、「団体じゃなくて1人」という人数のことだけをあらわします。

しかし、当時の単独行は、異端とも言える非常識なものでした。

山案内人からは、

「案内も雇わず勝手に山に入りやがって」

と軽蔑の対象にされましたし、他の登山家からは、

「金もなく仲間もいない愚か者」

とバカにされました。

それでも、そのスタイルを押し通したのには、後述する著書『単独行』の序文にかかれている通り、

単独行のほうが安全で優れている登山である

という信念があったからでした。

加藤文太郎は、三菱内燃機製作所で働く、一般庶民のサラリーマンでした。

限られた有給休暇を利用して、山へ向かわなければいけませんでした。

そのあたりも、富裕層の登山家たちとは大きく違う点でした。

加藤文太郎は、初期の頃こそ夏山も登りましたが、やがて、

「山の素晴らしさは冬山にある」

と自分のフィールドを制限しました。

夏は休みを使わず仕事に専念し、すべての休みを正月休みに投入して、冬期の縦走を成し遂げたのです。

彼の登山の初期、住んでいた須磨から宝塚まで六甲山を縦走し、また歩いて須磨に帰っています。

早朝から夜までで、100kmに及ぶ距離を歩いたといいますから、驚きです。

現代ではトレランレベルと言っていいでしょう。

また、加藤文太郎は、冬期のビバークはしましたが、テントは持たない登山家でした。

山小屋から山小屋へ移動するには、人並み外れたスピードで歩かなければ到達できないために、当時は他の誰も出来ないことだったのです。

加藤文太郎は、驚くべき健脚でしたから、山小屋間の距離をつないで計画することが出来ました。

結果、全人未踏の縦走記録が達成されたのです。

何度か冬山で、着の身着のままビバークしたことがあります。

その経験から、彼は、

「温かいものでお腹を満たして、雪穴に潜り込めば、眠っても必ず目覚める」

ということに気づいたといいます。

当時の常識では、冬山で眠ったら危険という考えでしたが、彼は自分の経験と研究によって、常識を打ち破っていったのでした。

腰を据えて食事をとるのではなく、歩きながら、上着のポケットに入れた「小魚と甘納豆」を常に食べていました。

これも、彼の登山から停滞時間をなくし、快速を生み出した1つの要因かもしれません。

他にも、揚げた餅や煎餅なども利用したと言われています。

小説では、後輩の宮村に半ば強引に誘われて、彼が心配で付いていくことになります。

そして、単独行を貫いてきた彼が、

「最初で最後、唯一のパーティーで挑んだ登山」

として描かれています。

単独行者の彼の個性を際立たせ、

「初めて主義を曲げて挑んだ結果、パートナーに足を引っ張られて遭難した悲劇」

と表現されているのです。

しかし実際は、彼は何度かパーティーで登山をしていますし、パートナーの吉田氏には絶対の信頼をおいていました。

むしろ、岩や氷の登攀においては、吉田氏に頼ることが多かったようです。

北鎌尾根の前に行った前穂高岳北尾根山行では、

「私が岩壁登攀に手間取ったために、吉田氏に凍傷を追わせてしまった。申し訳ない」

と語っています。

北鎌尾根でも、吉田氏の登攀能力を頼りにして、同行をお願いしたというのが真実のようです。

小説とはいいながら、加藤文太郎のパートナーというだけで、ダメ登山家に勘違いされている吉田氏は、なんだかかわいそうです。

加藤文太郎は、吹雪の中槍ヶ岳から北鎌尾根の踏破にチャレンジして、遭難してしまいました。

慎重な彼が、なぜこのときに限って、吹雪の中強行してしまったのかは謎で、くわしくわかってはいません。

しかし結果として、北鎌尾根を少し進んだところで滑落して、天上沢に落ちてしまいます。

彼らは北鎌尾根から滑落後、元の場所に戻ることは出来ず、吹雪の中なんとか北上します。

脱出ルートの先には、小屋があり、そこまで行けば生還できる見込みでした。

しかし残念ながら、まず吉田氏が力尽きてしまいます。

加藤文太郎はそこに目印として自分のピッケルを刺し、1人で北上を続けます。

しかし、ほんの200mほど進んだだけで力尽き、死亡してしまったのです。

小説では、足手まといのパートナーを最後まで見捨てずに看取り、死亡した後に1人で脱出を試みて叶わずという表現になっています。

真実はわかりません。

ただ、2人が一緒に助かろうと、最後まで力を合わせたことは間違いがないと思います。

加藤文太郎が生きた時代には、軽量な装備、ゴアテックスなどがありません。

もし、彼が現代に生まれたとしたら、それらの装備に身を包んで、もっと速く軽快に山を歩いていたことでしょう。

当然、海外の山々にも挑んだでしょう。

彼は岩や氷の登攀は苦手だったといいますから、アルパインクライミングの世界に入っていったのかどうかはわかりません。

ただ、彼の強い信念と体力、工夫する能力で、私達が考えないような登山をしていたのではないかと、個人的には思っています。

 

 

アイゼンの研ぎ方

初心者

冬山シーズンに向けて

アイゼンの研ぎ方を

教えてもらえませんか?

これまでにアイゼンを

研いだことはありますか?

まやまブログ

初心者

ありません。

研ぐための道具も

わかりませんので教えてください。

最初に爪の状況を確認してください。

参考までに研いでも

使用不可に近い場合もあります。

アイゼン1

まやまブログ

アイゼンを研ぐために

使用する道具は

鉄ヤスリ、作業用手袋、布が

必要となります。

スチールの特性を損なう

熱の発生を避けるため、

電動グラインダーではなく、

鉄やすりを使用して手で研ぐようにします。

まやまブログ

初心者

研ぐ際にコツがありましたら、

教えてください。

外せるパーツは全て外します。

研ぐのは刃の側面部分で

側面と正面の角度が90度になるようにします。

これ以外の部分を研ぐと

強度が落ちるので注意しておきます。

また、引くのではなく押して研ぎます。

アイゼン2

まやまブログ

初心者

研ぐ際に注意する点はありますか?

片方の手で固定がしっかりできる

場所でないとかなり大変です。

滑って怪我をしやすいことは

もちろん時間もかかってしまうためです。

片方で2時間程度を要すこともあります。

ベンチや机の角を利用しますと

安定します。

また、研ぐ音は意外と大きいので

室内、屋外にかかわらず、

騒音には注意が必要です。

まやまブログ

初心者

アイゼンのサビは落ちますか?

また、錆びないようにメンテナンスするには

どのようにすれば良いですか?

サビがある場合は、

柔らかい布に液体研磨剤をつけて、

こするように磨くと頑固なサビも

落ちます。

また、メンテナンスとして、

仕上げにサビ防止の

シリコーンオイル

金属部分に塗ります。

まやまブログ

初心者

おかげさまで

アイゼンの研ぎ方がわかりました。

有難う御座います。

谷川岳登山指導センター閉所


谷川登山センター閉所
 

谷川岳の麓にある、みなかみ町湯檜曽の県谷川岳登山指導センターが今年の業務を終え、十一月三十日に閉所した=写真。

 同センター前で閉所式が行われ、大久保聡所長(県観光物産課長)や鬼頭春二町長らが指導員の労をねぎらい、指導員が装備品のザイルやピッケルを返納した。玄関の看板がしまわれ、建物に雪囲いが施された。同センターは来年二月十八日の業務再開まで雪に埋もれる。

 県によると、谷川連峰の今年の登山者数は十月末現在で四万四千六十二人。十一月末までに遭難事故が二十件発生し二人が死亡した。統計が残る一九三一年以降の死者は八百十七人となった。

 谷川岳の「危険地区」は県谷川岳遭難防止条例に基づき、冬山期間(一日~来年二月末)の登山は自粛になる。沼田署の青山正幸署長は「登山指導センター閉鎖中も、警備隊員は水上交番(湯原)に常駐して、万一の際は迅速に活動する」という。

 谷川岳登山指導センターは、六七年の同条例の施行とともに設置され、谷川岳を訪れる登山者の安全登山の指導と、危険地区の巡視や登山道などの標識整備ほかの事故防止活動を行っている。


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初心者

谷川岳の指導センターはどこにあるのですか?

土合駅からですと

北に向かい谷川岳ベースプラザ

を過ぎて西黒尾根登山口に向かう

途中にありますよ。

まやまブログ

初心者

西黒尾根は日本三大急登と

言われてる尾根ですよね?

そのとおりです。

北アルプス裏銀座の

烏帽子岳に登るブナ立尾根と

南アルプスの甲斐駒ヶ岳の

黒戸尾根と並んで

日本三大急登と言われています。

まやまブログ

初心者

西黒は「にしくろ」と読むのですか?

「にしぐろ」ですか?

「にしぐろ・おね」ですね。

まやまブログ

初心者

日本三大急登の

他は登られたことがありますか?

西黒尾根と比べてどうですか?

全て登ってますよ。

距離では黒戸尾根が1番長いですね。

西黒尾根は3大急登と呼ばれるなかでは

1番容易です。

まやまブログ

初心者

西黒尾根からのおすすめコースを

教えてもらえますか?

初心者やはじめて西黒尾根に行く方は

西黒尾根を登りそのままピストン

または巌剛新道が望ましいです。

他にも天神尾根でロープウェーを

利用することもできます。

まやまブログ

初心者

いろいろなコースがあるのですね。

まやまさんはどちらで行かれたことがあるのですか?

はじめてではありませんでしたので

先日、縦走気分が味わえる国境稜線を歩き

万太郎山に登ってきました。

まやまブログ

初心者

具体的にどのような

コースなのですか?

以下のとおりです。

白毛門駐車場
06:00~06:20

西黒尾根
06:20~09:00

ラクダのコル
09:00~10:20

肩の小屋・谷川岳山頂
10:20~11:30

オジカ沢ノ頭
11:30~12:20

大障子避難小屋
12:20~13:45

万太郎分岐(山頂3分)
13:45~14:45

井戸小屋沢ノ頭(吾策新道)
14:45~15:20

大ベタテノ頭
15:20~17:55

土樽駅~土合駅
18:07発・18:16着

山と高原の地図の

コースタイムですと

12時間近くかかるため

中級者向きとなります。

まやまブログ

初心者

白毛門駐車場までは

どのようにして戻れたのですか?

白毛門駐車場は

土合駅から徒歩5分程度の

場所にあります。

そのため、

下山が土樽駅から歩いて

1時間弱の吾策新道登山口

でしたので土樽駅から

水上方面に1駅の土合駅に

電車に乗り戻りました。

まやまブログ

初心者

土合駅は

日本一のモグラ駅で

有名ですよね。

そうです。

地上から駅のホームまでは

およそ10分間階段を

下り続けないと行くことが

できないという駅です。

まやまブログ

初心者

大変でしたか?

いいえ、

土樽駅から水上方面から

下車したときは

改札が地上にありますので

問題ありませんよ。

また、乗車券は

土樽駅は無人の場合が多く

乗車してから最後尾の車掌から

乗車券を購入します。

なお、時間がなかったり

混雑して切符を購入できない

場合は土合駅の改札に

切符回収箱がありますので

現金を投入します。

くれぐれも無賃乗車は

やめましょう。

まやまブログ

初心者

なるほど、

そのような条件があるのですね。

初心者

ただ、私には西黒尾根から万太郎山、

そして、土樽駅までの

縦走コースはまだ無理かもしれません。

やはり中級者以上で

コースタイムより

速く歩けることが条件となりますね。

ただ、肩の小屋には宿泊もできますし、

4月から11月までは

ロープウェイの始発が土日は

AM7:00からですので

三大急登の西黒尾根を登らず

天神尾根で肩の小屋まで

行くことも可能です。

まやまブログ

初心者

できれば1泊2日で行きたいですね。

国境稜線には万太郎山の先に

仙ノ倉山と平標山があります。

避難小屋を宿泊予定として

はじめから中てにすることは

賛否両論ありますが

オジカ沢の頭避難小屋、

大障子避難小屋、

越路避難小屋、

エビス大黒避難小屋と

4箇所もあります。

まやまブログ

初心者

万太郎からまた先に歩くとなると

かなりハードな山行に

なりそうですね。

谷川岳は

馬蹄形縦走という

コースを聞いたことが

ありますが、

また違うのですか?

肩の小屋までのコースは

これまで話に出ていたコースと

同様ですが、谷川岳山頂の

オキノ耳を超えて

一ノ倉岳、茂倉岳、武能岳、蓬峠、

七ッ小屋山、清水峠、朝日岳、

笠ヶ岳、白毛門と歩く

コースとなります。

馬蹄形と字のごとく、

馬の蹄のように歩くコース

となります。

まやまブログ

初心者

馬蹄形縦走には行かれたこと

ありますか?

4回ほどあります。

日帰りはよほど体力のあるひとか

トレランなどをやってる人のみ

許されるコースですので

初心者ならず中級者でも

厳しいですのでよく検討してください。
 
new_a005YAMAP・谷川岳山行記録はこちら
 

まやまブログ

あわせて読みたい

剱岳に山岳警備隊派出所


番場島警備派出所
 

北アルプス・剱岳(2999メートル)方面への冬山登山に備え、上市署馬場島警備派出所(上市町伊折、約750メートル)の開所式が2日、近くの「馬場島家族の森」で行われた。県警山岳警備隊員ら関係者約20人が、安全かつ迅速な対応ができるよう決意を新たにした。
剱岳では、去年12月に2人が遭難し、悪天候に阻まれて7日後に救助されている。馬場島警備派出所には、来年5月15日まで3人ほどの隊員が交代で駐在し、登山のピークを迎える年末年始は早月小屋と2か所を8人体制で警備にあたる。
派出所は来年5月15日まで開き、登山届に応じて隊員が交代で勤務する。登山者が多くなる年末年始は、早月小屋(2200メートル)と派出所の2カ所で最大8人が待機する。石川仁分隊長は「大量の降雪や長期の悪天候など冬山の特性を理解し、余裕を持った日程、装備、食料で入山してほしい」と呼び掛けた。


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8千メートル峰14座


竹内洋岳
 

 
地球には標高8千メートルを超える高峰が14座ある。いずれもヒマラヤ地域の峰々だ。その14座すべてに日本人として初めて登頂したのが、竹内洋岳さん(48)だ。世界に約30人しかいない「14サミッター」と呼ばれる登山家のリストに、日本でただ一人、名を連ねるプロ登山家は、30年前の恩師の言葉を胸に、進み続ける。
 
17年かけ、死線も越え
 
 ヒマラヤへの挑戦は、山岳部に入りたくて進んだ立正大時代から。入学翌年、部が計画したヒマラヤ遠征に迷わず参加した。登頂メンバーには選ばれなかったが、「楽しかった、また来よう」。4年後の1995年、日本山岳会のマカルー(8463メートル)遠征に加わり、初めて8千メートルの頂に立つ。やがて国内からの遠征隊が少なくなると海外の公募隊に参加。そこで後に8千メートル峰全14座登頂という目標を共有する仲間に出会う。

 2007年のガッシャーブルム2峰(8035メートル)では雪崩に巻き込まれて300メートル墜落。片方の肺がつぶれ、腰椎(ようつい)と肋骨(ろっこつ)5本を折って死線をさまよった。

 そして12年、ダウラギリ1峰(8167メートル)で全14座登頂は完結。マカルーから17年が経っていた。

 「高校を卒業してから、とにかく前へと歩み出していったことで、私の登山はできあがっていきました」

 14サミッターへの歩みと重なる言葉を授かったのが、その高校卒業のときだった。
 
「前だけが人生だ」
 
 祖父に連れられて3歳からスキーに親しんでいたが、本格的に登山を始めたのは高校時代だった。東京都立一橋高校で「たまたま出会った」山岳部に入部した。顧問教諭は大学時代に山岳部で鳴らした強者(つわもの)。高校の部活では禁止だった岩登りと雪山の魅力に、顧問の話を通じて憧れを募らせながら、「山岳部があったから学校に行っていたみたいな」3年間を過ごした。

 3年次のクラス担任の中村一弘教諭は、全校生徒の顔と名前を覚えて、声をかけて気づかう先生だった。「それも特別なことじゃなく、当たり前のように。いかに大人になっていくかを教えてもらった気がします」。当時、40代半ば。教師として脂の乗っていたことだろう。私生活でも詩を書き、ジャズを好み、釣りや植物を愛し、人を招いては手料理を振る舞うのが好きな人柄だった。

 卒業の日。中村教諭が最後のホームルームで教え子に贈ったはなむけの言葉が、「前だけが人生だ」だった。

 人は苦しくなると昔を振り返る。そして今の苦しさを過去のできごとのせいにする。だけど過去のせいにばかりしていては、これからの人生を生きていくことはできないんだ――。

 あれから30年。中村教諭は21年前にがんのため54歳で急逝したが、その言葉を胸に挑戦を続けてきた。しかしいま、14座登頂の栄光も、そのために味わった辛苦も、過去のできごとだと言う。

 「登山は前回うまくいったから今回もうまくいくとはかぎらないし、前回ダメだったから今回もダメともならない。いつも新しい挑戦です。だから経験とは、積み重ねてその上に立つものじゃなくて、いつでも見渡して手に取れるように目の前に並べておくものだと思っています」

 過去の失敗だけでなく、成功した体験にもとらわれない。恩師の言葉をそう読み替えて、前に進み続けている。
 
出典元:朝日デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASMCQ55DKMCQUZVL009.html


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赤岳鉱泉アイスクライミング


赤岳鉱泉アイスキャンディフェスティバル
 
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アイスキャンディ
・期間 2019年12月中旬~2020年3月31日(氷の状況により変わります)
・料金 使用料:◎1日券/1000円 ◎1シーズン券/3000円
 
・第10回アイスキャンディフェスティバル 2020/2/1(土)~2(日) 
 
【アイスキャンディを使用するために必要なもの】
・ダイナミックロープ(シングルで長さ40m、直径9.5mm以上)
・支点用ソウンスリング2本、スクリューゲート環付きカラビナ4枚
・ヘルメット ・アックス ・アイゼン ・ハーネス ・ビレイデバイス ・サングラス
 
(注意)テムレスグローブ(青防寒ゴム手袋)でビレイを行うことは禁止です。
   登撃する際の使用は可能です。
 
【レンタルできるもの】
◎ヘルメット、アイスアックス、アイゼン、冬靴、グローブ
 ・レンタル料金:各500円(1日)でレンタル出来ます。
◎サングラス ・レンタル料金:無料
◎レンタル品使用可能エリア
 
アイスアックスとアイゼンはアイスキャンディのみで使えます。ヘルメット、冬靴、グローブ、サングラスはアイスキャンディ以外でも使えます。 数に限りがある為、全て先着順でレンタルを行い、事前予約はできません。ロープ、スリング、カラビナ、ビレイデバイス、ハーネスのレンタルは行っていません。
 
出典元:赤岳鉱泉公式ホームページ
http://userweb.alles.or.jp/akadake/sp.html
 


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御嶽山噴火から


御嶽山
 


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2014年9月の御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火で亡くなった秋山浩和さん(当時25歳)の父則行さん(61)=千葉県市川市=は右半身にまひがあり、山に登ることはできない。それでも、「浩和が最後に歩いた道のりを見てみたい」と、親友が手配した小型飛行機で御嶽山上空へ飛んだ。窓から見えたのは噴煙、カルデラ、削れた岩肌――。「紛れもなく火山なんだ」。荒れた山肌を目に焼き付けた。浩和さんは勤務先の損保会社の同僚と9人で御嶽山に登り、山頂で亡くなった。浩和さんの最後の行動を知りたい一心で、則行さんと妻秀子さん(62)は噴火2カ月後、生存者や犠牲者遺族から噴火前後の写真や映像を集め始めた。そこには山頂でたたずんだり歩いたりする浩和さんが小さく写り込んでいたが「浩和が歩いた道をこの目で見たい」との思いは消えなかった。

 2018年、秀子さんは山頂の立ち入り規制が解かれた9月26日に慰霊登山をしたが、則行さんは参加できなかった。11年に脳梗塞(こうそく)で倒れてから、歩くことはできるが転びやすく、登山は難しいためだ。「空から見えたらね」と冗談で言っていたことが、航空会社に勤める親友の協力もあり実現。埼玉県から御嶽山への90分間のフライトをチャーターした。

 3日、曇りの予報だったが、青空がのぞいた。実は今でも、火山のニュースや「御嶽山」という字を見るとビクリとする。犠牲者が残した降り注ぐ噴石の映像も見ているからこそ、浩和さんの感じた恐怖を想像してしまうからだ。離陸前、「見たいの半分、見たくないの半分」。緊張の面持ちでつぶやいた。

 黄色や赤に色付いた山々を超えて約40分。「右手に御嶽山が見える」とパイロットから放送があると腰を浮かせ、かぶりつくように山を眺めた。誰よりも早く、浩和さん一行が車をとめた王滝口の駐車場を見つけた。そこからスタートして、浩和さんが歩いた登山ルートを目で追った。

 山頂付近を捉えると、逃げられたルートを探した。「ロープウエーの方か二の池の方に行けば良かったのかな。あの場にいたら逃げるの難しかったのだろうな」。帰路も山が見えなくなるまで窓から目を離さなかった。

 俯瞰(ふかん)して御嶽山を見たからこそ感じたのは、紅葉に染まった他の山々との違いだった。「無機質に岩肌が削れていて噴煙も出ていて、生きている火山なんだなと。あの姿を見たら、ピクニック気分では登れない。やはり特別な山なんだと思う」と思い詰めた表情で語った。


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富士山・八ケ岳届け義務化


山梨山岳遭難
 

山梨県は県内で冬に登山する場合に届け出を義務付ける条例を12月1日から施行する。毎年、12月1日~翌年3月31日に、標高の高い富士山や八ケ岳、南アルプス山系に登る人を対象とする。
ただ富士山の場合は3千メートル以上の高さまで行く人に限定。冬の富士登山などを巡っては滑落事故が課題となっており、安全確保を強く意識させるのが目的。罰則はない。条例は、対象となる山に登る際に名前や住所、行程、緊急時連絡先などについて
知事に届け出ることを義務化。県に対しても啓発活動や登山道の安全確保を求めた。山梨県内の山で、ことし、遭難が相次いでいるのを受け、警察は、27日、山岳遭難対策について民間のアドバイザーから意見をもらいながら考える検討会を初めて開いた。警察によりますと、ことしに入って26日までに県内の山で起きた遭難件数は158件で、178人が遭難し、このうち30人が死亡。
これは、県内の山岳遭難が過去最多となった平成29年を上回るペースとなっている。
こうした中、警察は、27日、県の山岳連盟の役員など山岳救助に関するアドバイザー5人から意見を聞き、遭難対策や救助体制の強化方法などについて考える検討会を初めて開いた。
はじめに、山梨県警の原幸太郎本部長が「遭難防止対策や救助隊員の技能の向上は県警の重要な課題だ。山梨県警が今後行うべき対策についてきたんのない意見をいただきたい」とあいさつした。
その後の会議は非公開で行われたが、警察によると、アドバイザーからは、遭難者の9割近くを県外の登山者が占めていることから、県外に対する情報発信をより強化すべきとか、救助隊員の装備をより充実させるために予算をつけるべきだなどの意見が出されたとのこと。
山梨県警察本部山岳警備安全対策隊の宮城隆栄隊長は「登山者の安全を守り、遭難を1件でも減らすために、今後はより厳しい指導や情報発信をしていきたい」と話した。


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2019年11月26日に公開した

山梨県警察山岳警備安全対策隊による

山岳遭難防止のためのYoutube動画は以下より。

まやまブログ



初心者

まやまさんも

Youtubeチャンネルを

もっていますよね(笑)。

微力ながら情報発信してますが、

登録者数は800人と少ないです。

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まやまブログ

PS.昨日ブログ掲載した日本航空123便墜落事故の陰謀と題した当時内閣の中曽根康弘元首相のご冥福をお祈り申し上げます。


遭難山岳事例 【まとめ・遭難事例】山岳遭難はなぜ起こってしまうのか?山岳救助隊まやまブログ 赤石山荘 【まとめ・最新情報】冬季宿泊できる山小屋・前泊可日帰り温泉 雪山装備 【まとめ・登山装備】雪山での冬山装備、登山用品の選び方おすすめ・山岳救助隊まやまブログ



表層雪崩で15人死亡


富士山慰霊登山
 

1954(昭和29)年11月28日、富士山の吉田口7合目付近で表層雪崩が発生。登山中の約40人が雪の下敷きとなって1000メートル以上流され、大学の山岳部員15人が死亡した。犠牲となったのは日大8人、東大5人、慶大2人の学生たちで、関係者は現場で冥福を祈った。

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初心者

風化してはいけませんね。

御巣鷹山の慰霊登山なども

毎年話題となりますね。

おっしゃるとおりです。

一昨日、11月26には、

御巣鷹の管理人、

黒沢完一さんが、

岩手県雫石町上空で

起きた航空機の

慰霊の森を訪れました。

日本航空123便墜落事故は

実は、陰謀説の話題もあります。

詳細は以下より

まやまブログ

ニュース番組にかかわるようになって20年以上、私の心のなかには、もやもやした疑問がずっとつきまとってきた。それは日本航空123便の墜落原因だ。1985年8月12日18時12分に、大阪に向けて羽田空港を飛び立った日航123便は、同日18時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人中、520人が死亡するという、一機では、世界最大の航空機事故となった。
 事故の原因は、その後の運輸省の調査で、機体後部の圧力隔壁が破損し、そのときの圧力で尾翼の一部が吹き飛んで、油圧装置も破壊され、そのことで機体のコントロールが不可能になったことだとされた。機体は、過去に伊丹空港で尻もち事故を起こしており、そのときに破損した圧力隔壁をボーイング社が修理した際、十分な強度を持たない方法で行ったため、それが破損につながったとされたのだ。いまでも、この公式見解は一切変更されていない。
 しかし、この事故原因に関しては、当初から様々な疑念が呈されてきた。例えば、圧力隔壁が破損すれば、急減圧で機内に濃い霧が発生する。それは、過去の機体破損の事故で共通して起きている。しかし、123便では、薄い霧は発生しているものの、機内が見通せなくなるほどの霧は、発生していないのだ。そしてこの事故で最大の疑問は、墜落現場の特定が大幅に遅れたことだ。墜落時間は、8月12日の18時56分だが、地元の消防団員が生存者の落合由美さんを発見したのは、翌日午前10時54分だった。自衛隊が現場を特定したのも、公式には翌朝になってからということになっている。すぐに救出に向かえば、多くの人命が救えたにもかかわらず、現場の特定が大幅に遅れたのだ。
 しかし、内陸部に墜落したのだから、機体は直前まで、確実にレーダーで捉えられていたはずだし、近隣住民も火の手が上がるのを目撃している。当時、地元の自治体からは県や国に通報もなされているのだが、なぜか墜落現場は、現場とは無関係の長野県とされるなど、翌朝まで報道が二転三転し、特定されなかったのだ。もっと不思議なことは、米軍が墜落直後に横田基地から輸送機を現場に飛ばし、上空から山が炎上するのを確認し、自衛隊に通報するとともに、米軍輸送機の誘導で厚木基地を飛び立った米軍の救難ヘリが現場に到着しているのだ。だが、救援ヘリは、救助開始寸前に作戦中止を命じられ、何もせずに引き返している。つまり米軍は最初から墜落現場を完全に特定していたにもかかわらず、何故か日本政府には伝わっていないことになっているのだ。
 なぜこんな話を書いているのかというと、今年7月に青山透子氏が『日本航空123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)という本を出版したからだ。青山氏は当時日本航空で働いていた客室乗務員で、事故機には彼女が一緒に仕事をしていた同僚たちが乗り込んでいたこともあって、事故の真相を探ろうと、あらゆる文献を収集整理し、目撃者証言を集めて、いわば人生をかけた調査に取り組んできた。そして、書籍のなかで、重大な事実を指摘したのだ。
 予め断っておくと、123便の墜落事故に関しては、これまでもあらゆる陰謀説が唱えられてきた。しかし、青山氏の今回の指摘は、そうした根拠不明の陰謀説とは一線を画すものだ。青山氏は、東京大学の大学院を出て、博士の学位も取っている。東大を出ているから正しいというのではない。博士論文は厳密な審査が行われる。そのため論文には明確な根拠が求められる。憶測で書くことは許されないのだ。その論文作成の姿勢は、この本でも貫徹されている。証拠となる文献、そして実名での証言を集めて、青山氏は厳密な論証を行っているのだ。
 この本のなかでまず注目すべきことは、墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたという複数の目撃証言だ。この証言のなかには、当時の小学生が事故の状況を綴った文集のなかでの証言も含まれている。子どもたちがうそをつくはずがない。しかし、この証言を前提にすれば、日本政府は、当初から墜落現場を完全に把握していたことになる。
 それでは、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛隊は一体何をしていたのだろうか。本書に掲載された証言によると、現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭がしていたそうだ。また、現場の遺体は、通常の事故では、あり得ないほど完全に炭化していたという。自衛隊を含む軍隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状燃料を使用している。つまり、墜落から翌朝までの間に、何者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではないかということだ。
 消すべき証拠とは何か。青山氏の著書によると、123便から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が飛行機に向かって飛んできているという。それは地上からも目撃されている。
 青山氏は、次のような可能性を提示している。自衛隊の訓練用ミサイルなどの飛行体は、オレンジ色で塗られていた。何らかの理由で、その飛行体が123便の尾翼を破壊したため、123便は制御不能に陥ったのだ。
 もしこの推測が正しいとすると、日本政府としては、とても受け入れられる事故原因ではなかっただろう。というのも、事故当時、私は経済企画庁総合計画局で働いていたのだが、国会では、防衛費がGNP比1%以内に収まるのかどうかが、連日、議論の的となっていたからだ。総合計画局の産業班は、「防衛班」と呼ばれるほど、1%問題の国会答弁作成に追われていた。当時は、野党が防衛費の膨張を強く非難し、国民の自衛隊に対する感情も、いまほど理解あるものではなかったのだ。そうした環境のなかで、自衛隊の不祥事は許されない状況だった。
 しかし事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。それは、森友学園や加計学園よりも、はるかに重要な問題だと私は思う。なぜなら、この事件のあと、日本は以前にもまして対米全面服従になったからだ。事故の翌月には、ニューヨークのプラザホテルで「プラザ合意」が結ばれ、協調介入によって極端な円高がもたらされ、日本は円高不況に突入した。日本の安定成長が失われた大きなきっかけとなったのだ。それだけではない。1993年には宮澤総理とクリントン大統領の間で年次改革要望書の枠組みが決められ、それ以降、日本の経済政策はすべてアメリカの思惑通りに行われるようになった。事故の原因を作ったとされるボーイング社は、もしこれが事件だとすると、罪をかぶった形になったのだが、その後、着々と日本でのシェアを高め、いまや中型機以上では、ほぼ独占状態といってもよい状況を作り上げている。
 123便の事故に関しては、これまで、何度も事故原因の再調査が政府に申し入れられたが、日本政府や日本航空はまったく動く気配がない。しかし、2年前、私の心に希望の光が差し込んできた。あるニュースが飛び込んできたからだ。そのときに保存していたニュースを再掲する。

 
テレビ朝日系(ANN)
 
2015年8月12日(水)11時47分配信
 
『123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年』
 
 乗客乗員520人が犠牲となった日本航空機の墜落事故から12日で30年です。墜落した123便は羽田空港を離陸した後、相模湾の上空で圧力隔壁が壊れました。垂直尾翼など吹き飛んだ機体の多くは海に沈み、今も見つかっていません。ANNは情報公開請求で得た資料などから、残骸が沈んでいるとされる相模湾の海底を調査し、123便の部品の可能性がある物体を発見しました。
 先月29日、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160mの海底で撮影された映像です。右側のパネル状の部分は四角形に見え、側面にある黒い部分には数字などが書かれています。カメラとの距離などから調査にあたった専門家は、1.5mから2mほどの大きさではないかとしています。当時、事故調査委員会のメンバーとして墜落の原因を調べた斉藤孝一さんは「この映像だけでは分からない」としたうえで、123便の残骸である可能性を指摘しました。
当時の事故調査官・斉藤孝一さん:「仮に航空機の部品だとすると、『APU』のまわりに取り付いている『コントロールボックス』といわれてるようなもの」
 APUは機体後部にある補助エンジンで、客室に空気を送ったり電気を付けたりする役割があります。斉藤さんは圧力隔壁の破壊という事故原因は変わらないとしたうえで、残骸が見つかれば事故の状況がより詳細に分かる可能性があるとしています。123便を巡っては、相模湾上空でのトラブルの際に機体から落ちた垂直尾翼の大半やAPUを含む機体後部の部品が見つからないまま、事故から1年10カ月後に調査が終了しています。国の運輸安全委員会はこの映像を見たうえで、「当委員会としてのコメントは差し控えさせて頂きます」としています。

相模湾の海深く沈んでいると言われてきた翼も、この近辺の浅い海に沈んでいる可能性が高いのだ。尾翼が見つかれば、事故原因がはっきりする。もしも、訓練用のミサイルが尾翼を直撃したのであれば、尾翼の残骸にオレンジ色の塗料が付着していると考えられるからだ。ところが、日本政府や日本航空は残骸の引き上げに動こうとしない。それどころか、これだけ重大なニュースであるにもかかわらず、テレビ朝日も、その他のメディアも一切続報を出さないのだ。
日米関係がいったい何に立脚しているのか。本当のことを追及していかなければならない。それが、私を含めたメディアで働く人間の義務だろう。


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出典元:日航123便はなぜ墜落したのか
https://maga9.jpmorinaga17083


遭難山岳事例 【まとめ・遭難事例】山岳遭難はなぜ起こってしまうのか?山岳救助隊まやまブログ 赤石山荘 【まとめ・最新情報】冬季宿泊できる山小屋・前泊可日帰り温泉 雪山装備 【まとめ・登山装備】雪山での冬山装備、登山用品の選び方おすすめ・山岳救助隊まやまブログ



山岳救助優良警察職員表彰

富士宮署山岳救助隊長で、入職以来、三十年近く山岳救助に携わる。「警察官としては特殊な経歴だが、活動を理解していただきうれしい」と喜ぶ。

 学生時代にアルバイトした北アルプスの山小屋で山岳救助隊の仕事を知り、あこがれた。一度は民間企業に就職したが、故郷に戻り夢をかなえた。

 救助は一般的な警察官に比べ、直接感謝されることが多く、自身の喜びにもつながる。一方で、捜索し切れず「もっとやりたかった」と悔やむ案件も多い。訓練中に雪の斜面を四十メートル滑落し、大けがをしたこともあるが、やめようとは思わなかった。「事故がその後の対策として生かされることになれば」と前向きにとらえる。

 スマートフォンなどで情報収集し「わかったつもり」の若手隊員も多い。「自然が相手。マニュアルは通用しない」と実地経験蓄積の重要性を説いている。


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三才山トンネル無料化

長野県は、上田市と松本市を結ぶ「三才山(みさやま)トンネル有料道路」を2020年9月から無料化する方針を決めました。予定より9カ月の前倒しとなります。

上田市と松本市をつなぐ三才山トンネル有料道路は、普通車の通常料金が8.6キロの三才山区間が520円、6.6キロの松本区間が320円(道路環境改善事業期間中は午前6時~午後10時まで全車種100円)となっています。

県は2020年8月までの徴収分で建設などにかかった借入金が返済できるとして、無料化を9カ月前倒して来年9月とする方針です。県議会の議決を経て、正式に国土交通省に申請します。

地元ではかねてから無料化を求める要望があり、県は「生活道路として利便性の向上や観光・産業などでの活用に期待したい」としています。

三才山トンネル有料道路は昭和51(1976)年に供用が始まりました。


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富士山避難小屋シェルター

富士山の登山者を落石などから守ろうと、県は、富士山の下山道の避難施設を増やすことになり、来年度から具体的な場所などの調査を始めます。

県によりますと、富士山の登山道には落石や、噴火のときの噴石から身を守るための避難施設が17か所、設置されていますが、比較的石が多く落石の危険性が高いとされる下山道では8か所にとどまっていて、地元の自治体などから増設を求める声があがっています。
このため県は、6合目から8合目にかけての下山道に、新たに避難小屋やシェルターなどの避難施設を設けることになりました。
県では、設置する場所や数、それにどのような施設を作るべきかを検討するため、来年度の当初予算案に、下山者が通るルートや混雑状況を調査する予算案を計上する方針で、周辺の自治体の要望も踏まえて早期の完成を目指したいとしています。
富士山では、ことしの夏山シーズン中に10年ぶりとなる落石による死亡事故も発生し、登山者の安全確保が課題となっています。
県世界遺産富士山課は、「下山道への避難施設の設置で、より安心安全な富士山の登山に向けて対策を進めたい」と話しています。


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長野県9人死亡防災ヘリ事故

おととし長野県の防災ヘリコプターが墜落し9人が死亡した事故で、死亡した機長が墜落する可能性を予測できたのに、回避するための操作を行わなかったなどとして、警察は26日機長を業務上過失致死などの疑いで書類送検しました。

おととし3月、長野県松本市の山中に県の防災ヘリコプターが墜落し、乗っていた機長や整備士、それに消防隊員の合わせて9人全員が死亡しました。

この事故で警察は26日、死亡した岩田正滋機長(当時56)を業務上過失致死などの疑いで書類送検しました。

警察が飛行中に隊員によって撮影されたビデオの映像を解析するなどした結果、機長は機体が徐々に山の斜面に近づき、墜落する可能性があることを予測できたのに、旋回したり高度を上げたりといった回避するための操作を行わず墜落させた疑いがあることが分かったということです。

一方、運輸安全委員会は、去年公表した調査報告書で、機長が回避する操作を行わなかった理由について、瞬間的な眠気によって集中力が低下し、地上への接近に気付かなかった可能性があると指摘しましたが、警察は捜査で詳しい理由は明らかにできなかったとしています。

機長は身体検査の際に病歴や医薬品の服用について必要な申告をしていなかったとして、ことし9月、航空法違反の疑いで書類送検され、不起訴となっています。

遺族「安全管理の徹底を」

死亡した機長が業務上過失致死などの疑いで書類送検されたことについて、事故で死亡した消防隊員の小口浩さん(当時42)の父親の貴史さん(71)は、NHKの取材に対し「機長は搭乗者全員の命を預かっている立場であり、事故が起きないよう最大限の注意を払ってもらいたかったです。あの事故がなければ、息子は、先月の台風の救助活動で活躍していたかもしれません。息子はかえってきませんが、事故が二度と起きないよう安全管理を徹底してもらいたいです」と話しています。


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10日間遭難男性を幽霊が救出

10日ぶりに発見された登山者「2人組の霊に助けられ、会話しながら下山…」。
11月20日、台湾で登山中に行方不明になっていた男性が無事自力で下山し、救助されるという一件があった。姿を消して10日目のまさに奇跡の救助であったが、その男性によると、下山できるように導いてくれたのは「2人組の幽霊」だったという――。ニュースサイト「Asian Times」(今月22日付)ほか、多数メディアが報じている。


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三才山トンネル有料道路

22日、国道254号「三才山トンネル有料道路」(上田市―松本市、15・2キロ)を2020年9月1日から無料化すると発表した。管理運営する県道路公社による借入金返済の見通しがたち、当初設定した料金徴収期間を約9カ月短縮する。
現在は三才山トンネルなど二つのトンネルを含む「三才山区間」が普通車で520円。松本トンネルを含む「松本区間」が午前6時〜午後10時は全車種100円で、夜間は無料。両区間を無料化する。
建設費は約209億円、近年の年間維持費は約1億3千万円で、整備時は21年6月に返済を終える計画だった。18年度末までの累計利用台数は約1億2650万台で計画より2割ほど多く推移しており、無料化前倒しを決めた。
県会11月定例会で関連議案可決後、国土交通省から徴収期間変更の許可を得る予定。
県は昨年8月に平井寺トンネル(上田市)を無料化。国道142号新和田トンネル(岡谷市―小県郡長和町)も21年夏ごろ無料化する方針。


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故田部井淳子さんたたえ

国際天文学連合(IAU)は23日までに、登山家の故田部井淳子さんにちなみ冥王星の山を「タベイ山」(※写真の矢印の部分)と命名することを決めた。女性初のエベレスト登頂や7大陸最高峰登頂をたたえた。田部井さんは2016年に77歳で亡くなった。

 山は、特徴的なハート形をしたスプートニク平原の南側に位置する。

 命名を扱うIAUの作業部会が19日付で承認した。部会メンバーの渡部潤一・国立天文台教授によると、冥王星の地形を撮影した米探査機ニューホライズンズのチームが提案したという。

 
 
 

山梨県内山岳遭難が急増

17日午後8時45分頃、北杜市の瑞牆山(みずがきやま)(標高2230メートル)を下山していた千葉県の50歳代の男女から「道に迷った」と110番があった。携帯電話から全地球測位システム(GPS)で位置を確認した北杜署員が救助に向かい、午後11時半頃に発見した。2人にけがはなかった。

 2人が登山を始めたのは午前11時頃だった。往復約5時間半を要するコースで、下山は早くても夕方になる。ヘッドライトを持っていたものの、辺りが真っ暗になり道を見失った。

 県警地域課によると、山岳遭難は今年、10月末現在で150件169人に上り、1965年の統計開始から最多だった2017年同時期の135件146人を大きく上回っている。

 今月は道迷いによる遭難が目立つ。日照時間が短くなる中、十分な装備を持たずに入山し、下山中に日が沈んで身動きが取れなくなるケースがほとんどだ。

 16日午後4時55分頃には、身延町の富士見山(標高1640メートル)で、静岡県浜松市の男性(59)が道に迷って遭難したと通報があった。周囲は既に暗くなり始めていた。男性は翌17日早朝に県防災ヘリ「あかふじ」で救助された。男性にけがはなかった。

 日本山岳救助機構(東京都)によると、民間ヘリによる救助費用は一般的に「捜索1分につき1万円」とされる。数百万円を要するケースもあるという。

 「あかふじ」や県警ヘリ「はやて」が救助にあたった場合、費用は請求していないが、埼玉県では昨年1月から条例で県防災ヘリによる遭難救助に5万円程度の手数料を設けている。

 遭難が増えていることについて、県山岳連盟の小宮山稔会長は「インターネットで登山ルートを写真付きで紹介しているサイトもあり、簡単に登れそうだと思ってしまうのでは」と話す。

 10月の台風19号などの影響で、今年は登山道上の看板やテープなどの目印が外れてしまっている場所もある。「日没時間を意識し、登山道の状態など事前に情報収集をして、ゆとりを持った計画を立ててほしい」
また、不十分な装備や安易な計画で道に迷う登山者が後を絶たず、県警は注意を呼びかけている。


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冬山遭難や事故防ぐ対策会議


 
ニコ生富士山i遺体発見場所
 

本格的な冬山シーズンを迎えるのを前に、冬山の遭難や事故を防ぐ対策会議が11月20日、御殿場市で行われました。
 10月、富士山頂付近で登山する様子を動画でライブ配信していた男性が滑落して死亡しました。当時、富士山は閉山期間中で、男性は登山計画書を提出していませんでした。
 こうした事故を防ぐため開かれた冬山遭難防止対策会議には、御殿場市や小山町の担当者、警察などが出席し、事故の発生件数や事故防止のための活動計画などが報告されました。
「冬の富士山は綺麗で穏やかに見える。ただ一歩足を踏み込めば想像を絶する世界がある。風が強く、氷が硬いですとか、滑りやすいということが言える」(若林洋平御殿場市長)
 今後、年末年始にかけさらに事故の危険が高まるということで、警察や山岳会などはパトロールで注意を呼びかけるということです。


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富士山死者後絶たず滑落危険度ヒマラヤ級

自らの富士登山の様子をインターネットでライブ配信中に滑落したとみられる男性が10月に死亡した富士山。夏の開山期以外の遭難事故による死者は後を絶たない。登山道は全面通行止めになっているが、登山自体は明確に禁止されているわけではない。静岡県は問い合わせがあれば登山の自粛を求めるが、強行する場合は黙認せざるを得ないのが現状だ。
 「万全な準備をしない者の登山禁止」。県や環境省などでつくる協議会が夏山以外の富士山に関して定めるルールの一つ。ルールを伝えるチラシには「登山はあくまで自己責任」との記載もある。
 県道である登山道は開山期以外、道路法の規定により通行止めとなり立ち入りが禁止されている。だが、県としては国などが所有する山体部分など他のエリアへの立ち入りは制限できない。
 閉山期の富士山は山岳遭難事故のリスクが高い。静岡地方気象台によると、昨年11月の山頂の平均気温はマイナス8・6度。12月の山頂について風速は最大29メートル、平均13・9メートルとの記録も残る。山小屋は閉鎖され、携帯電話は通じにくいなど安全確保が難しい。県警によると、静岡県側の閉山期の遭難事故は13年以降、年9~19件で推移。14年には6人が亡くなるなど毎年死者が出ている。
 県富士山世界遺産課は遭難事故防止対策の強化が必要との認識を示すが、手段を増やして「危険性を訴え続けるしかない」と話す。県警地域課の担当者は「(登山を)絶対駄目とは言う立場にない」とする一方、事故によって出動を迫られれば「救助隊員にも危険が及ぶ可能性がある」と複雑な心境を漏らす。
 雪山は最も危険が高まる。小山町のガイド集団「やまぼうし」の米山千晴代表(68)は、積もった雪の表面は凍りやすく滑落の恐れがあると指摘。「冬の富士山は夏の富士山とは違う。ヒマラヤ級」と警鐘を鳴らす。


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初心者

ピッケル、アイゼンはうつっていない。

また、滑落した直後の映像では

自身の足が映っていますが、

ハイカットの登山靴ではなく

軽登山靴または運動靴。

スパッツなしと

登山家の視点で分析されてますが。

おっしゃるとおりですね。

ただ、登山装備も

もちろん大切ですが

やはりまず先に

10月末の富士山に

行くことを控えるべきだった

と思います。

登山計画の時点で山での

リスクがはじまっていたかと。

いろいろ考えらさせれる

山岳事故となりました。

まやまブログ

大雪山系旭岳と黒岳で初雪を観測(2019年9月19日)

初心者

先日までは

残暑がきびしいなど

騒がれていたのに

北海道では初冠雪の

ニュースがありましたね。

道内は9月18日から19日にかけ、

上空に入り込んだ寒気で冷え込みが強まり、

大雪山系の旭岳(2291メートル)と

黒岳(1984メートル)で

今季初の降雪が確認されました。

道内最高峰の旭岳では午前6時半ごろ、

標高約1600メートルの

旭岳ロープウェイ姿見駅付近で、

うっすらと雪が積もりました。

黒岳では、黒岳ロープウェイを

運行する「りんゆう観光」の

石室避難小屋(標高約1900メートル)の

管理人が、18日午後11時ごろ、

降雪を確認しました。

まやまブログ

初心者

まだ冬山になるまでは

随分先と思っていましたが、

だんだんと雪山が

近づいてきていますね。

北アルプスでも白馬岳連山は

例年10月中旬に初冠雪しますよ。

もう1ヵ月後ですから、

だんだんと雪山装備が

必要となってくるシーズンです。

まやまブログ

初心者

話を聞いて悠長なこと

言ってられなくなりました。

今年の北海道の初冠雪は

早かったのでしょうか?

黒岳の初雪は平年並みで、

記録が残る1974年以降で

最も早かった昨年より32日遅いです。。

道内最高峰の旭岳では午前6時半ごろ、

標高約1600メートルの

旭岳ロープウェイ姿見駅付近で、

うっすらと雪が積もりました。

まやまブログ

初心者

北海道の登山者であれば

想定内なのですかね?

登山に訪れた小樽市の

公務員片岡浩一さん(55)は

「予報で雪は想定していたが

こんなに降るとは」と話しています。

札幌管区気象台によると、

午前9時までの最低気温は、

十勝管内上士幌町

ぬかびら源泉郷で3・6度、

北見市留辺蘂で3・7度など。

19日は夜遅くまで大気が

不安定になる見込みで、

気象台は日本海側などで

予想される暴風などへの

警戒を呼びかけていますよ。

まやまブログ

長野県北アルプスの玄関口 上高地で閉山式(2019年11月16日)


上高地に通じる県道

北アルプスの玄関口、上高地で観光シーズンの終わりを告げる閉山式が行われました。

松本市にある上高地では、春から秋の観光シーズンの終わりの時期に合わせて毎年11月15日に閉山式を行なっていて、15日は、市や地元の観光関係者などおよそ400人が集まりました。
河童橋のたもとで行われた式では、穂高神社の神職が祝詞をあげたあと、出席者たちが玉串を奉納し、ことしのシーズンの安全に感謝するとともに来シーズンを無事に迎えられるよう祈りました。
市によりますと、ことしは夏から秋にかけて悪天候に見舞われたうえ、先月の台風19号では、関東方面からの交通網に影響が出たことから、先月末までに上高地を訪れた人は118万人余りと、去年の同じ時期と比べておよそ1万人減ったということです。
一方、上高地を訪れる外国人観光客は去年を上回ったということです。
上高地観光旅館組合の小林清二組合長は「来年は東京オリンピックがあるので、世界中から観光客を呼び込めると期待しています」と話していました。
上高地に通じる県道は、15日午後7時から来年4月中旬まで閉鎖されます。

山梨県道志村のボランティア男性を無事救助(2019年9月29日)

初心者

山梨県道志村の現場で

千葉県成田市の小学1年、

小倉美咲さん(7)が

行方不明の参加し

崖から落ちてけがをした

ボランティア男性が救助された

ニュースがありましたね。

県警によりますと、

右腕や右手首を折る重傷。

男性は東京都小平市の

田島嵩一さん(27)。

自力で下山しよう

としていたところを、

小倉さんを探していた

ボランティアの男性が見つけ

29日午前6時10分ごろ

発見され、救急車で

病院に運ばれました。

まやまブログ

初心者

小学1年の女児も

早く見つかると良いのですが。

県警や消防は

約80人で捜索を始めてますが、

まだ見つかっていません。

県の災害派遣要請を受けて

捜索に加わっていた

陸上自衛隊は28日に撤収となりました。

無事に見つかりますよう祈るばかりです。

まやまブログ

富山県北アルプス山岳遭難 過去最多143件(2019年11月1日)


富山山岳遭難過去最多

初心者

山岳遭難が過去最多の

ニュースがありましたね。

紅葉シーズンまっさかりですが、

今年、富山県内での山岳遭難は

すでに過去最多となっています。

これからさらに気候条件が

県内では夏山シーズンの

遭難発生件数が80件と

過去最多で、

今年10か月間でも

すでに143件と過去最多を更新しています。

これからさらに気候が厳しくなる

冬山シーズンを前に

県警は注意を呼びかけています。

まやまブログ

富山県北アルプス下ノ廊下の阿曽原小屋は10月で営業終了(2019年10月25日)


2019下ノ廊下事故

初心者

下ノ廊下は連日のように

滑落のニュースが

が取り上げられていましたね。

北アルプスの黒部川下ノ廊下で、

先週末から登山客が死亡する事故が相次いでいます。

21日、60代の女性が転落し、全身を強く打って死亡しました。

21日午前8時45分ごろ、

黒部川下ノ廊下の黒部別山谷出合近くで

登山をしていた60代の女性が、

登山道からおよそ30メートル下の河川敷に転落し、

岩などに全身を強く打ち死亡しました。

警察によりますと、女性は7人組のパーティーで、

登山と紅葉を楽しもうと20日長野県側の扇沢から入山し

21日は阿曽原温泉に泊まる予定だったということです。

下ノ廊下は、秘境などを楽しめることから人気のあるルートですが、

雪が少しでもあると通れないことから例年、

9月下旬から10月下旬のおよそ1か月しか通れず、

道幅が極端に狭い危険なルートでもあります。

まやまブログ

10月20にも蜆谷で事故がありました。

黒部署によると、午前8時5分ごろ、

標高約950mにある水平歩道で

「人が滑落した」と近くにいた

登山者から110番があった。

県の防災ヘリコプターが約100m下の

岩場で倒れている千葉県の41歳の男性を蜆谷で発見した。

まやまブログ

同じく20日にも白竜峡で事故がありました。

富山県の北アルプス・黒部峡谷で20日、

全身を強く打っており間もなく

死亡が確認された。

滑落したとみられ、

上市署によると午後2時ごろ、

標高約1050mの白竜峡近くの

登山道から約20m下の河原で横たわる男性が見つかった。

所持品などから山梨県の52歳の男性が亡くなっています。

まやまブログ

19日には十字峡で事故がありました。

午前北アルプスの

黒部川下ノ廊下で

男性の遺体が見つかりました。

19日午前9時ごろ

黒部川下ノ廊下の

十字峡近くの河原で

県の消防防災ヘリが

男性の遺体を発見しました。

現場の近くでは、

広島県の無職・坂本直さんが

登山に行ったまま帰ってこないとして

捜索願が出されていて、

警察は18日から

行方不明となっている

広島県の70歳の男性と

服装や体つきが一致していることから

警察はこの遺体が坂本さんと

見て身元の確認を急いでいます。

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シェルパが外国人率いるヒマラヤマネジメント登山(2019年11月14日)


 
ネパール
 

ネパールのヒマラヤ登山というと1990年代までは、時に20人を超す世界中の登山家たちが「遠征隊」を組織したものだが、すでにほとんどの山がさまざまなスタイルで登り尽くされた現在は少数で組まれた外国人登山グループを一つの隊のようにして「頂上アタック」を挙行する、いわゆる「マネジメント登山」が主流になっている。

 エベレストをはじめ世界に14座ある8000メートル峰では特にこの傾向が強く、エージェントにお金を払えば、一人でも「登山隊」に参加できる。参加費はエベレストが一番高く、少なくとも300万円相当はかかるが、マナスルやダウラギリなどネパール国内でアプローチの短く低い8000メートル峰の場合、1人100万円台で参加できる。これは国が設定している「登山料」が高い山ほど高くなる上、キャンプも一つ二つ多めに設けなければならず、費用がかさむためだ。

 通常、例えばスペイン人4人、日本人2人、ニュージーランド人2人、英国人2人、中国人3人といったチームがそれぞれ別々に登山ガイド「シェルパ」やコックを雇ってベースキャンプ入りし、頂上を目指す。その際、ロバや人を使ってのキャラバン、キャンプ設営、荷揚げはそれぞれバラバラに行う。同じ山のノーマルルートを登るわけだから、途中で交流はあるが、行動は全く別々となる。

 8000メートル峰のノーマルルートの多くは、雪崩や滑落など危険があるため、通常、そこに「固定ロープ」を張る必要が出てくる。何とか登れても体力が衰えている下山時に滑落する危険が高まるため、急斜面にあらかじめロープを張っておく。これを「ルート工作」と呼ぶが、問題は誰がこの作業をするかだ。

 昔の場合、それぞれの遠征隊が各自でやったが、今は、その山に入る各グループのシェルパを雇っているいくつもの「登山代理店」が事前に合議して決めておく。その際、チームのそれぞれの登山者はルート工作の代金として一人当たり3万円から10万円相当を、エージェントを通して払うことになっている。

 ルート工作を担当したシェルパたちが怠けたり、うまく工作できなかった場合、どうなるのか。

 かつての大遠征隊の場合、自分たちでやるだけのことをやった上で登頂か撤退の判断を下すことができた。ところが、現在主流の「マネジメント登山」の場合、ルート工作の正否も進退の判断もシェルパたちに一任する形になってしまう。シェルパが「無理だ」と言えば、撤退せざるを得ない。というのも、一応は外国からの登山家が「隊長」という立場にあっても、経験、実力から言えば、シェルパがリーダーで外国人はあくまでも連れてってもらうメンバーに過ぎない。

 「工作できなかった」、「ロープが足りなかった」とシェルパ側の明らかな失敗であっても、外国人はそれを受け入れざるを得ない。

 50年代のヒマラヤ開拓の時代から半世紀が過ぎ、海外から来る登山者と、ネパール国内のガイドたちの間に歴然とした経験、実力、体力の差がついた。海外の登山者が主役になれたのは遠い昔のこと。ネパールのプロの登山家、シェルパたちがお膳立てした登山計画に乗り、自分一人の力を試すだけというのが今のヒマラヤ登山の主流である。

 その分、安全にはなったが、決行や登山スタイルから独自性やきわどさ(ギリギリの判断など)が減り、当然と言えば当然なのだが、穏健な登山が増えている。

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