【まとめ・野口健さん】救助要請にもペナルティーは必要。下山連絡をしない20歳男性に苦言(2019年5月22日追記) 

野口健

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救助要請にもペナルティーは必要。下山連絡をしない20歳男性に苦言(2019年5月22日追記) 

初心者

野口健さんがツイッターで

富士山登山の救助要請の一件に

苦言をされていますね?

的を得ていて、

わかりやすく意見を

述べているので

とても尊敬します。

野口さんの地元ですし、

富士山は清掃登山なので

何もかも知り尽くしたうえでの

発言ですので説得力もありますね。

山開き前の富士登山は

危険が伴うことを世間に

広めてくれたとも思います。

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初心者

「安易に救助要請を出す

登山者が増えている。

有料化を検討すべき」とも

訴えてますね。

お金の問題とも

また異なりますが、

このようなニュースに

なることは自覚して

もらいたいですね。

また、下山できないと

判断したら救助要請を

したほうがいいですが、

安易にとはまた違いますね。

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初心者

「そもそもアイゼンも持たずに

何を考えているのか?

無神経な人に呆れ果てる」

とも言われてますね。

おっしゃるとおりですね。

救助隊員は命がけで

救助に向かいます。

1分1秒でも早く見つけて

あげたいと必死ですから

20歳の男性は

まだまだ若いですから、

野口さんの発言を教訓に

登山を続けてもらいたいものです。

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アルピニストの娘・野口絵子さん(15歳)広告デビュー(2019年5月20日追記)

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初心者

野口健さんには

娘さんがいるのですね?

はい、娘さんがいます。

本名は野口絵子さんです。

娘さんは2004年生まれの15才(中学三年生)です。

そのまま「エコ」と読みまして、

登山清掃の活動にちなんで名づけられました。

現在ロンドンの立教英国学院に通われているそうです。

日本人を対象にした全寮制の学校です。

ちなみに、野口健さんも

かつて、ロンドンの立教英国学院に

通われていて、高校生の1年生の時に

先輩との喧嘩で1ケ月の停学処分を言い渡されます。

学校から自宅謹慎を命じられ、

日本に帰されるが父の助言により、

一人旅に出て、その時、偶然に書店で

手にした植村直己氏の著書

青春を山に賭けて

に感銘を受け、登山を始めます。

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初心者

野口健さんってけっこうおもしろいですね。

おもしろい人ですが

凄まじい経験もしてますよ。

確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい

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初心者

野口絵子さんは

野口健さんと似ているのですか?

あまり似ていませんね。

ただ、美人で色っぽいです。

30歳近く年齢が離れているのに

野口健さんの彼女と間違われるようです。

写真は以下のとおりです。

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野口健さん野口絵子さん

野口健さん野口絵子さん


初心者

とても美人ですね。

壇蜜さんのような色気もありますね。

ところで野口健さんの奥さんは?

2003年8月に

日本人の加藤靖子さんという方と

再婚されていますね。

野口健さん30歳の時です。

加藤靖子さんは一般の方で、

仙台出身とのこと。

ライターの一志治夫さんの

奥様の従姉妹の加藤靖子さん、

と紹介しておりました。

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加藤靖子さんと入籍

加藤靖子さんと入籍


ただし、バツイチなのか

2回目の結婚なのか

ややこしい話となりますが、

以下の話もあります。

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アルピニスト野口健の嫁シェルパの娘と結婚

エベレストに登る前、体を高地に慣れさせるために、

シェルパの家に寝泊まりしていたことがあって。

向こうの家では、朝早くに女性が水を汲みに行き、

火をおこしてお茶を淹れるところから一日が始まります。

部屋は一つでみんな雑魚寝ですから、

その様子を寝ぼけながらボーッと見ていたんですね。

その家では、朝の水汲みは、

当時15歳くらいの女の子の仕事で、

甲斐甲斐しく働く様子にグッときて、

山の上で、お父さんに「あなたの娘にホレちゃったかも」

といったら、「そうか、じゃ、下りたら持っていけ」と。

高地で意識がふわふわしている状態で、

こっちは冗談のつもりでしたが、それが大問題で。

それで、山から下りてきたら村中が大騒ぎで

「シェルパの娘と日本人が結婚するから祝っている」と。

でも、ネパールの山奥で暮らすシェルパ族には

「戸籍」なんてものがないから、

その女の子も出生届が出されてなかったんです。

日本大使館に相談しても、

国際結婚にはペーパーが必要ということで

取り合ってもらえず、仕方なくカトマンズに

部屋を借りてその女の子を住まわせて、

自分は日本から仕送りするという、

極めておかしな関係になりました。

ぼくも数ヵ月ごとにネパールに行ってました。

でも、山奥の生活に比べるとカトマンズは大都会で、

それなりの不労所得も入るものだから、

会うたびにどんどんケバい女になっていくんですね。

しかも、他に男ができたような雰囲気もあり、

しばらくしてその関係は終わることになります。

そんなわけで、今の結婚が1回目なのか、

2回目なのか、説明するのがややこしいんです。

野口 健

初心者

いろいろありますよね。

ところで、デビューをした野口絵子さんの

広告はどのような作品なのですか?

登山家の野口健さんの娘である

野口絵子さんが5月20日、

広告デビューを果たしました。

絵子さんは2019年3月に

イギリスの中学校を卒業した

2004年生まれの15歳で、

パッケージソフトの

開発と販売を手掛ける

ネオジャパンの

「未来につながる働き方」

メッセンジャーとして

活動していきます

まやまブログ




初心者

良き親子関係ですね。

野口絵子さんは

山には登られるのですか?

趣味は登山で、

キリマンジャロに登ることを

夢見てるそうです。

野口健さんのDNAを

受け継いでますから、

登山家としても期待が

持てますね。

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登山家野口健さんがイモトさんの下山時にヘリコプター利用への苦言コメント

初心者

登山家の野口健さんが

下山時のヘリコプターには苦言をして

ツイッターが炎上したニュースがありませんでしたか?

そうでしたね。

9月30日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で、

タレントのイモトアヤコがスイスとイタリアの国境にある

アルプスの名峰マッターホルン登頂を果たしことに関して、

アルピニストの野口健さんが自身のTwitter上で苦言を呈している

イモトのチャレンジが放送されたのは30日、

日本テレビ系のバラエティ番組

「世界の果てまでイッテQ!秋のマッターホルン登頂スペシャル」でのこと。

番組内でイモトは、“アルプスのツノ”と呼ばれる標高4478mの

マッターホルン登頂を見事に果たし、そのひたむきな努力で視聴者に感動を与えた。

イモト自身も1日に更新した自身のブログでマッターホルン登頂を報告。

大きなプレッシャーの中でのチャレンジとなったことや、

登山中の苦労話などエピソードをまじえつつ、

「たくさんの方のおかげで登ることができました。

今回のマッターホルンでアルピニストとして一皮も二皮もむけたきがします」と、

達成の喜びをつづっている。

という話題に対してですね。

野口さんのコメントは以下のとおりでした。

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えっ、ヘリを使っていましたか(笑)。

遭難、または体調不良がなければ通常では考えにくい選択肢

野口 健

個人的な考え方ですが、山登りというものは自力で下山するところまでが山登り

原則論として自分の足で登った山は自分の足で降りてくる。

達成感も含め山とはそういうものだと僕は思っています

野口 健

自力で下山できる技術、体力を獲得してから挑戦すればいいわけで、

重要な事は身の丈にあった山登り。また自らを助ける事にもなる。

下山技術がないが為にヘリ下山を大前提とした場合、

では急に天候が悪化した場合はどうするの?

ヘリはやってこない、自力で下山も出来ない。これこそ遭難です

エベレストはまだ早いんじゃないかな

野口 健

初心者

一部フォロワーからは、

「ねぎらいの一言もなく、小馬鹿にしたような発言に対して、

受け取る方には違和感がありました」

といった野口に対する非難の声もありましたね。

野口さんは(笑)で付きで表現したことについては、

彼女の登頂に笑ったのではなく、ヘリを使わなければ

下山出来ないような状況でありながら

それでも片道はやるんだねと、テレビはそこまでやるんだね、

と苦笑したわけと説明してますよ。

まやまブログ

初心者

そういう展開だったのですね。

知りませんでした。

野口さんは

好きだった登山が嫌いになった

という話もあります。

まやまブログ

野口健「好きだった登山が嫌いになった」



それは、野口さんが

「登山を好きではなくなった時代があった」

という告白から始まりました。

まやまブログ

1999年にエベレストを登頂して、

世界7大陸最高峰登頂記録(当時)

を持ちましたが、

「30代のとき山登りに情熱を

持てなくなったことがありました」

高校時代に読んだ植村直己氏の著書に

触発されて登山を始め、

「好きなことをしていたら仕事になっていた」

というほど、山登りに没頭してきたが、

30代のときにふと気づくと

「完全に仕事になっていた」

清掃登山も行うが、

「仕事」としてこなすようになり、

ワクワクしなくなっていた。

その状態のぼくを救ったのが、

子どもの頃から持っていた夢であった。

当時、一緒に登山していた

ミュージシャンの藤巻亮太さんがカメラを持ち、

一生懸命に風景を撮る姿を見て、

「あ、おれはもともとカマラマンになるのが夢だったんだ」

と思い出した。

家族にも「おれには夢がある。カメラマンになることだ」

と宣言し、それ以来カメラを抱えて登山するようになった。

そうすると、写真を撮るためにジッと

星空を見上げるようになったり、

普段の登山では気付かなかった風景を見るようになったりした。

そうすることで、

何十回も登ってきた山の素晴らしさを

改めて知るようになったという。

野口 健

レミオロメン藤巻良太さんは登山写真家に転身していて

野口健さんと対談したニュースは知ってましたか?

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初心者

え~、それも知りませんでした。

どのような対談だったのですか?

アルピニスト野口健さんとレミオロメン藤巻亮太さんの対談

野口健藤巻亮太

世界で一番高い山はエベレストで、健さんは、2度クリアされていて。

登山家の方は、「より難しいルートで、誰も登ったことのない道を」

みたいになっていくんですけど、健さんは、活動の中で自分の人生の

テーマを見つけていらっしゃると思っていて。

かつてエベレストにも、ゴミが多かった時代があったんですよね?

藤巻亮太

1970年代以降はゴミが多くて。

1970年代は欧米隊が置いていったゴミが多かったですね。

1980年代に日本隊がゴミデビュー。

野口 健

なるほど(笑)。笑ってはいけないけど、

そういうことがあったんですね。

藤巻亮太

1990年代から徐々に減ってきて、2000年に入ってから、

韓国・中国隊のゴミデビュー。ゴミを拾っていると、

いろんな国のゴミがあって、その国々の当時の環境意識に

対する度合いがわかる。ヨーロッパだって1960年代は、

環境への意識は低いからね。

日本も、1980年代は今ほど環境問題への意識が高くなかったから。

野口 健

もうバブルで浮かれていた時代ですもんね。

藤巻亮太

今、日本隊のゴミはほぼない。

野口 健

そういう、自然環境に対する意識というのが、ゴミの年代でわかると。

当時、エベレストのベースキャンプで、日本人のゴミに対する意識が低いから、

欧米の登山隊の方に「エベレストをMt.Fujiみたいにしてはいけないよ!」

って言われたんですよね? 当時、トイレ問題もあってね。

藤巻亮太

当時は山小屋のトイレがたまると、栓を抜くでしょ、

タンクから流れてくるのは主に3点セットだよね。

アレとアレとアレね。でもアレとアレは(地面に)染み込むよね。

そしたら紙が残っちゃうの。年間30数万人が登るわけ。

それで、トイレットペーパーが流れてたまっていたのが、

よく言われていた“白い川”。

野口 健

20年前の富士山には白い川があったと。

藤巻亮太

白い川の犯人はトイレットペーパー。これは上空からも見えるんだね。

説明がなければ、雪だと思ってしまうくらい大規模。

その噂を聞いていて、はじめて夏に行ったときに、これが白い川かと言って、

先端は干からびているから、さほど抵抗なくはがせるの。

ちょっと臭いけどね。香ばしい感じのね。

何人かで行ったから剥がして袋に入れていたら、

上からばしゃばしゃとフレッシュなものが流れてきて。

野口 健

えーー。

藤巻亮太

「おー、逃げろ!」とか言って。これが強烈でしたよ。

僕、富士山が汚いっていう印象を持っていなくて。

野口 健

樹海も(ゴミが)凄かったんですよね。

藤巻亮太

亮太さんとは、何回も一緒にゴミを拾っているよね。

野口 健

はい。やらせていただいています。

藤巻亮太

自動販売機とか、ナンバープレートを外したトラックがあったり。

僕のサイトや講演会で流す紹介ビデオには、そのときの映像を使っていて、

僕がトラックを運んだ様子とか、みんなそれを観て、「よし、俺も行くぞ!」と言って、

参加してくれるわけ。でも最近、ゴミがなかなかなくなってきて、

参加者は「ゴミがないぞ!」とか、怒る人がいてね、困っちゃって。

野口 健

(笑)本末転倒の話ですよね。

藤巻亮太

だから清掃キャンペーンをするのが、この18年で意外と難しくなってきて。

野口 健

裏を返すと、大成功しているわけですもんね。

藤巻亮太

そうなんだよね。なんでこんなに参加者に怒られるんだろう。

みんな(ゴミを)拾いたいんだよね。

野口 健

今年、富士山が世界文化遺産になって5年になるんですね。

僕は20年前、ゴミの山だった富士山から世界文化遺産になるまでの、

野口健さんの功績は大きいんじゃないかなと思ってるんですよね。

藤巻亮太

いやいや。

野口 健

富士山の清掃活動をライフワークとされている野口さん。

一方で藤巻さんも、富士山への愛はもちろん、近年では、

生まれ育った故郷、山梨への思いが増しているようです。

まやまブログ

健さんもよく遊びに来てくれたんですけど、

僕の実家が桃と葡萄の農家で、弟が最近、農業を継いだんですよ。

藤巻亮太

弟も思い切ったよね。

野口 健

そうなんですよ。よく決断したなと思うんですよね。

藤巻亮太

お父さんは嬉しいだろうね。

野口 健

父親は嬉しいですよ。今、農業従事者の平均年齢は60代ですよね。

最近実家に帰ると、家族も友達も地元の話をするんですよね。

そうすると農業から見えてくる、地方のあり方もあって。

甲府みたいな街は、地方都市の代表で、

甲府市は県庁所在地の中でも47都道府県で一番人口が少ないんですよ。

藤巻亮太

そうだろうなぁ。夜、繁華街を歩くと、

自分の靴のカツカツという音しか聞こえなくて、ぞっとするときがある。

野口 健

甲府で甲府を盛り上げようと頑張っている方にお話を聞くと、

郊外にモールができて人の動線が変わっちゃうじゃないですか。

だけど裏を返すと、一番衰退が進んでいるから、

ある意味最先端をいってるって考えているんですね。

藤巻亮太

開き直り?

野口 健

そう。ここは、今から全部の都道府県が経験するであろうことを最初に経験している。

だから、どうすればいいかというノウハウを最初に学べるのも僕たちだっていうふうに、

ポジティブに考えている方がいて、その考えがすばらしいですよね。

だから、どうしたらいいのかと言えば、

山梨で言ったらその地元のものを地元で食べたり飲んだりして。

山梨はワインも有名だし、桃、葡萄だけではなくて、野菜も美味しいんですよね。

地産地消を増やしていって、そういう活動でここ何年か、

甲府に活気が戻ってきているんですって。

藤巻亮太

野口:あの甲府が?

野口 健

酷いこと言いますね(笑)。だからそれは、地方の衰退に対する1個のモデルになりうるんですよね。

そういう方の話を聞きながら、ローカルの問題はグローバルな問題と繋がっている。

ローカルにコミットしていくと、世界のことが見てくるんじゃないかな。

よく「フラクタル構造」って言うんですけど、俯瞰で見ても寄って見ても、

けっこう構図は一緒なんじゃないかな。やっぱり僕自身も地元にまずコミットすることで、

経済や文化の成り立ちを学ばせてもらって、それを発信することで、

僕自身の40代の生き方が結構大事になってくるのではないかなと思っていて。

藤巻亮太

藤巻亮太、今だから話すレミオロメン活動休止の理由とソロの迷い

インタビュアー

レミオロメンの活動休止から3年。

藤巻亮太が初のミニアルバム『旅立ちの日』をリリースする。

2012年2月のバンド活動休止後、

すぐさまソロ活動を開始、

2012年10月には1stソロアルバム

『オオカミ青年』をリリースし、

全国ツアーも行うなど、

精力的な活動を繰り広げていた藤巻。

しかしそれ以降、いくつかのラ

イブイベントに出演する以外は

ほとんど表舞台に立つことなく、

沈黙の時を過ごしていた。

それから約2年。昨年12月、

レコード会社を移籍するなど心機一転、

シングル『ing』で再びソロ活動を

スタートさせた彼が、

満を持して送り出す6曲入りの

ミニアルバム。そこに至るまでの

道のりには、果たして彼の

どんな思いがあったのか。

今だからこそ話せるレミオロメン休止の

真相、最初のソロ活動、

そして空白の2年間とは。

表題曲でもある“旅立ちの日”の中で、

彼はこんなふうに歌っている。

<しがみついていた 意地やプライド 

手放したら 素直な気持ちで 歩きだすよ>。

自らの内面を吐露する楽曲から、

外に向かって伸びやかに響く楽曲を歌うに至るまで。そ

の紆余曲折と変遷を、藤巻亮太に語ってもらった。

レミオロメンを10年やってきた中で、

レミオロメンの文脈とは違ったり、

バンドで共有するにはあまりにもプライベートなことを

歌として吐き出したいと思ってしまったんですよね。

2010年に結成10周年のツアーを回ったんですけど、

それが終わったあと、

自分にとってリアリティーを持って歌えることが

何かを考えたら、

そこに触れないわけにはいかないと

感じてしまって。ここでその自分の中に溜まった

ドロッとしたものに向き合っておかないと、

これから先やっていけないと思ったんです。

それでソロを始めました。

藤巻亮太 / 旅立ちの日

藤巻亮太

インタビュアー

10年で何かひと区切りついてしまったところが

あったのでしょうか?

レミオロメンじゃなければ見られない景色も

たくさん見たと思いますが、

その代わりにやれなかったこともあったというか。

ということは、

自分が選んだソロという道について、

少し迷ったことがある?

20歳でレミオロメンを始めたから、

ちょうどその頃に30歳になったんですけど、

やっぱり20代っていうのは脇目も振らず

駆け抜ける感じがあるじゃないですか。

その良さはもちろんあるんだけど、

一度ゆっくりと自分に向き合いたいと

思うタイミングだったんですよね。

最初はバンドをやりたいっていう気持ちだけで

始めたのに、どこかで何か1個のルーティーン

の中に自分たちが入ってしまっている

んじゃないかってことも考えたりして。

もともとは、「真理に到達する道筋」

という仏教用語らしいんですよ。

つまり、無限の選択肢の中から、

ひとつを選んでここにいるという。

今この瞬間も、無限の選択肢の中の

1個を選んで人は生きているけど、

それがベストの道だと意識するのが

すごく大事なことで。

だって、過去は変えられないから。

自分の中に衝動があるうちは良かったんですよ。

衝動のままにソロを始めて、『オオカミ青年』という

アルバムを作ってツアーをやって。

ただ、そこでその衝動が成就してしまったんですよね。

で、何が起こったかっていうと、ここから先に進むには、

衝動だけじゃないものでクリエイトしなきゃ

いけないんだけど、そうするとソロとレミオロメンの

境目が自分の中でなくなってしまう気がしたんです。

その差を出そうとすればするほど、

曲も作れなくなってしまって。

レミオロメンの10年プラス、ソロで駆け抜けて、

疲れが出たじゃないですけど……

自分の中のドロッとした部分を吐きだしたあと、

1回空っぽになってしまったんです。

その状態で、無理に何かを吐きだすことはできなくて。

やっぱり、何もないところからは、

何も生まれないんですよね。

藤巻亮太

インタビュアー

2012年の10月に『オオカミ青年』を出して以降、

2年以上CDリリースも止まっていましたよね。

その2年間は何をしていたのですか?

ヒマラヤにアフリカですか……

ものすごく遠いところへ旅をされてたんですね。

それで本当に自分が進むべき道が見えた?

はい。すごく怖いことではあったけど、

一度立ち止まろうと思ったんです。

今はきっと歌うべきことが

ないってことなんだろうし、

前に進んでいく覚悟を自分で決められない限りは、

どこにも進めないと思って。

あちこち旅をしていました。

アルピニストの野口健さんが、

ものすごくいろんな旅に誘ってくれて。

その経験は大きかったですね。

20代のときには考えられないような、

ヒマラヤとかアフリカとか

いろんなところに一緒に行きました。

はい。ヒマラヤの山奥とかアフリカの

サバンナの中とか、すごく遠い場所に行くと、

物理的な距離と同じぐらい精神的な距離も

離れられるんですよね。

「自分は何をそんなに握りしめていたんだろう」

「何にビビってたんだろう」

「何にそんなしがみついていたんだろう」

って気づかされました。

2年間ずっと旅をしてたわけじゃないですけど、

本当にソロ活動を続けるのか、

バンドをどうするのかを悩んでいる時期に、

そうやってあちこちを旅して回ったことで、

今の自分にできることと、

自分ひとりではどうにもならないことが

あるとわかって。それで、

「今の自分にできることをやっていこう」と

思うようになっていったんです。

そうなると、まず自分にできることは

今の現状を受け入れることなんですよね。

自分にできることとなると、結局今も昔も

変わらないんですけど、今自分が思っていること、

感じてるものを音にしていく作業しかないんですよ。

そうやって現状を受け入れていく中で、

バンドと比べたり差別化をしなくてはという意識から、

だんだん距離が取れるようになってきたというか。

ソロはソロの歩幅で、しっかり歩いて

いくしかないんですよね。あと、これはメンバーの

意見がそろわないと始まらないんだけど、

少なくとも自分の意志としては、

いつかちゃんとまたレミオロメンを

やろうと決めたこともあって。

藤巻亮太 / 旅立ちの日

藤巻亮太

野口健さんは三浦雄一郎さんとも親密ですからね。

まやまブログ

野口健さん「三浦雄一郎は究極の遊び人」

三浦さんが70歳でエベレストに登ったとき、

僕はエベレストの清掃で現地にいたので

三浦隊へ遊びに行きました。

三浦隊はキムチ鍋とか、ごはんがおいしい。

三浦隊のベースキャンプ(BC)には

見るからに料理人という格好をした方までいました。

三浦さんにはすごく興味があって、

当時僕が30代前半。それでもBCの生活はきつい。

そのときは70歳の三浦さんが来ると聞いて、

本当に登れるのかなと思っていました。

野口 健

山にいればどんな人でも精神状態が

ナーバスになったりハイになったりします。

酸欠だし、長期間の共同生活もストレスになる。

でも、三浦さんを見て、

「なるほどな」と思ったのは、

1カ月近くいて三浦さんは

いつ会っても感情の波がない。

悪天候になると普通はネガティブに

なってしまうものなのに、

三浦さんは「いやー、今日は雪が降ってるねー」

とか楽しそうなんです。

標高の高いキャンプに行っても

「高山病って慣れないもんね」とか。

意図的にやっているのではなく、

三浦さんのキャラクターですよね。

表情が遠足に来ている小学生みたいでした。

野口 健

山にいればどんな人でも精神状態が

ナーバスになったりハイになったりします。

酸欠だし、長期間の共同生活もストレスになる。

でも、三浦さんを見て、

「なるほどな」と思ったのは、

1カ月近くいて三浦さんは

いつ会っても感情の波がない。

悪天候になると普通はネガティブに

なってしまうものなのに、

三浦さんは「いやー、今日は雪が降ってるねー」

とか楽しそうなんです。

標高の高いキャンプに行っても

「高山病って慣れないもんね」とか。

意図的にやっているのではなく、

三浦さんのキャラクターですよね。

表情が遠足に来ている小学生みたいでした。

野口 健

登山隊の隊長がナーバスになるとみ

んな疲れるんですよ。隊員同士もギスギスする、

山には逃げ場がないから。

でも、どんな状況でも三浦さんはからっとして楽観的。

いつも三浦隊は雰囲気がいいんです。

リーダーとして方針を決めるのもそうだし、

明るく振る舞ってスタッフのモチベーションを下げない。

「俺たちは遊びに来ている」というのを徹底していますよね。

三浦さんは褒め上手ですから。

隊長もシェルパも同じ物を食べる。

みんなの気持ちが切れないからこそ

三浦さんの登頂につながっている。

僕はそれをみてリーダーのあり方を学びました。

野口 健

野口さんの生き方として壮絶な体験については

以下のとおりです。

まやまブログ

野口健さん情報(日常生活もままならず…壮絶ヘルニア体験語る)

すさまじい音と振動がきて、

一緒にいた4~5人で腕を組み四つん這いになりました。

ふと顔を上げると、雪崩が巨大な生き物のようにものすごい勢いで迫っていました。

2011年、標高6000メートルのエベレストでのことです。

「もうダメだな」と思いました。

そして、「ドン!」と雪崩がぶつかったんですけど、

手前に巨大なクレバスがあったおかげでそこに重い雪が落ち、

舞い上がっていた軽めの雪に巻き込まれたことで、奇跡的に全員が助かりました。

それでも、圧倒的な圧力で流されて雪に埋もれ、

鼻や口に詰まった雪を急いで指でかき出さなければなりませんでした。

首の後ろが少し腫れたものの、生きていられたのは本当に奇跡。

雪崩は氷の塊を含んでいるので、まともに食らったら体なんか簡単にちぎれるんです。

九死に一生を得たそんな体験から約1年後、

右手の指の先がしびれるようになりました。

さらに1年後、右肩甲骨の辺りに痛みがきました。

そのうち、マイナスドライバーでえぐられるような痛みで

日常生活もできない状態になりまして、接骨院でレントゲンを撮ったら

「首のヘルニア」と診断されたのです。

原因は、年齢や登山の荷物運搬などいろいろですが、

引き金は「雪崩のときのムチウチだろう」とのことでした。

処方された薬で、痛みは一時的にとれました。

でも、飲むと視界がゆらゆらして、歩くとフラフラで、ろれつが回らなくて、

目つきもおかしくなる。それほど強烈な薬でした。

ヘロヘロでも仕事は休まずに行きましたが、薬が切れると痛くて、

しんどいからどうしてもお酒を飲みますよね(笑い)。

お酒と薬で落ちるように寝ることが日常になり、

常に事務所スタッフに面倒をかける日々でした。

治療を模索していくつも病院へ行きましたが、

どこへ行っても「手術しなければ治らない」と言われました。

しかもその手術は、喉の前からメスを入れて変形した骨を切り取り、

腰の骨を切り出してそこへ入れるというもの。

「半年間は山には行けない」と言われました。

なかなか決心がつかないまま2年近くがたち、精神的にも壊れかけ、

いよいよなんとかしなければと思った頃、

通い始めたスポーツジムのトレーナーから

「首と腰のヘルニアを内視鏡で手術する専門医がいる」と教えてもらいました。

それが徳島大学整形外科の西良浩一先生です。

聞けば、何人もの有名なアスリートの

ヘルニアを内視鏡手術で治している先生でした。

ボクが「来年ヒマラヤに登りたい」と言うと、

「じゃ、すぐやろう!」と言うのです。それが2016年の夏でした。

手術は、内視鏡で神経が当たる部分の骨を削るというもの。

要は脊椎に穴を開けるわけです。

一歩間違えば半身不随になる難しい手術とのことでしたが、

西良先生は「大丈夫。来年にはヒマラヤに行けます」と飄々と言ってくれたので、

直感で信頼してお任せすることにしたんです。

■退院2日後に富士山へ

手術は全身麻酔で4~5時間。傷はわずかで痛みも少なく、

2日後には自分でトイレに行け、1週間もするとリハビリ室で

軽いトレーニングができるようになりました。

と同時に、主治医がうちわを手にボクの病室に来て、

「阿波踊りの練習をしよう」と言い出しました。さすが徳島だと思いましたね。

それがまた真剣で、手術から10日後、

退院を迎えたとき本当に阿波踊りに参加しましたよ(笑い)。

さらに、退院して2日後には富士登山に出発しました。

熊本の被災地の子供たちとの約束だったので、

「せめて行けるところまで」という気持ちでした。

医師からは「絶対に転ぶな」と言われたので緊張しましたけど、

結局、山頂まで行っちゃいました(笑い)。

ヒマラヤへ行ったのは今年の春。それまでに50回以上も登ってきた山ですが、

2年間のブランクは初めてです。不安でしたし、

いざ登ってみるとこれまで当たり前にやっていたことにあたふたしちゃって……。

でも、その感じが初心に戻ったような新鮮さで、

「不安ってのは楽しいものだな」と思いました。

日常生活もできなくて「山は終わった」と思った時期もありました。

「山で死ぬことはないからそれもいいな」と考えたことも確かです。

でも、「山をやめたら何も残らないし、何も残らないのも怖い。

どうであれ怖いなら山を続けよう」と思い至って今があります。

入院の時間というのは病気にもよるし、人にもよると思いますけど、

考えようによってはぜいたくな時間だと思います。自分と向き合えるし、謙虚にもなれる。まあ、謙虚さはそう長くは続きませんけどね(笑い)。

▽のぐち・けん 1973年、米国生まれ。

16歳のとき植村直己さんの著書に感銘を受け、登山を始める。

25歳で7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立。

その後は、エベレストや富士山の清掃登山を実践し環境教育を広める活動に力を注ぐ。

2013年に「野口健が見た世界 写真集」出版、

2015年に「ヒマラヤ大震災基金」設立、

翌年は「熊本地震テントプロジェクト」を立ち上げ現地で活動するなど、

被災地支援にも尽力している。

野口 健

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