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白馬岳の指導霊

白馬岳の指導霊

今から数年前の秋の事。紅葉と秘湯を楽しむ為に、私と両親は北アルプスのとある山に挑戦した。

 一日目は大雪渓をひたすら登り、夜は頂上付近の山小屋で一泊し、心が洗われる様な満天の星空を眺めながら眠りに就いた。

 翌朝、御来光こそ逃したが天気は上々、順調に行けば下山する道すがら、この山に登った者だけが楽しめる秘湯中の秘湯の温泉に浸かる事が出来る筈である。

 

 何時もの登山のパターンだが、計画を立てる父は、同行する私と母には詳細を説明する事をしないで、持って行く荷物の量だけを指示する面倒臭がり屋である。その日も確かにそうだった気がする。

 泊まった山小屋を、来ていた登山客の中でも一番遅くに出発し、私達はのんびりと素晴らしい山の景色を楽しみながら目的地に向かって歩いて行った。

 もしここで行程にかかる時間を聞いていれば、もっと急いで宿を出発していたのだと思う。ましてや登山を始めたばかりの私は、空気の薄い所では極端に足が遅くなるのだ。

 尾根の縦走を終えていよいよ下りに入ると、目に入るのはやはり高山植物の花である。栽培品種の花に比べれば小さくて素朴だが、厳しい自然を生き抜く力強さには、清楚と言う言葉がぴったり当て嵌まる。ましてや季節は秋。花は盛りを過ぎていたが、それがかえって風情を醸し、私はつい時間を忘れてカメラを向けては晴天の元でシャッターを切って歩いた。

 タイムキーパーとしての父は、日没までに下山を完了すれば問題無いと思っていたのだろうが、私と母の呑気さには気が気ではなかったと思う。

 一通り花を撮り終え、ペースを上げるべく歩き出した私達の行く手には、幾重にも山の裾野が広がっていた。

 昼も過ぎ、歩いても歩いても次の目的地の温泉には辿り着けない。行程の距離も時間も知らされていない私と母は、同じ様な景色が延々と続く山道に段々疲労し、更にペースを落とす事になった。

 そんな時、急に景色が一変した。開けた場所に小さな流れが現れ、水芭蕉が生えている湿地に出たのだ。つい嬉しくなった私は、その小さなオアシスを歩き回った。父も母も私と同じだった様で、三人で暫く沢を下って行った。

 さてそろそろ登山道に戻ろうとした時、私達はすっかり目印を見失ってしまっていた事に気が付いた。初心者の私は何でもないと思っていたが、父は内心相当焦っていた様で、来た道を戻って水芭蕉の所から目印を探し直せばいいんじゃないかと、基礎的な提案した時の雲が晴れた様な顔は忘れられない。



 登山道は整備されているとは言え、次に差し掛かった雪渓は、既に道が崩れていて渡る事が出来なくなっていた為、私達は道を外れてずっと上流の崩れていない所を探さなければならなくなった。

 しかし、それは素人ではかなり危険な事だったのだ。

 沢山の登山者が歩いた道だから大丈夫だと、軽く考えたのがそもそもの間違いで、崩れた雪渓を迂回して川を渡ったのは良かったが、次の道標が見当たらなくなったのだ。今まで頼りにして来たのは、白い蛍光塗料で書かれた丸い印だ。崩れた雪渓の向こうに見えたそれを私達は必死に探した。時刻は三時を回りぐずぐずしていれば、秘湯どころか何も無い所で日が暮れてしまう。しかし、道はどうしても見付からない。秋の陽はつるべ落としとはよく言ったもの。段々と暮れ始め気温も下がり始めているのが分かる分、焦りは最高潮だった。

 どうしよう、こんな所で野宿なんて出来ない。泊まる道具なんて持ってきていないし、水も食料も無い。衣類だって最小限しか詰めてきていない。

 誰か通り掛からないだろうか。

 誰か道を教えてくれないだろうか。

 私は本気で祈る様に目を凝らした。

 その時……

 誰かが雪渓を渡ってこちらへ来たのが見えたのだ。それは私達が今いる場所よりもずっと下流の方だった。私は思わず指差して半分叫んでいた。

「見て、人があんな所にいるよ。道はあそこじゃない?」

「うそ、何処に?」

「ほら、こっち見てる。」

 父は半信半疑だったが、母も私と同じに人がいると認めたのか、あの人を急いで追い掛けようと小走りになった。

 転がる様に行ってみると、そこには紛れも無い道標の丸が書かれた岩が有った。

 渡って来た人は余程足が速かったのか見失ってしまったが、これでやっと戻れると安心した私達は、冷や汗でべとべとになった互いの顔を見合せて笑った。

 しかし、どれくらい時間をロスしたのか分からず、その後温泉に辿り着きはしたがとても入る気にはなれず、横目で見ながら先を急ぐ事にした。

 それにしても、あの人が後から来てくれなければ、私達親子はどうなっていたか分からない。まるで的外れな場所を探し続けてその内に暗くなって、完全に道を見失って、最悪遭難していた可能性も有ったかもしれないと思うと血の気が引いた。



 ようやく登山道の出口に来た時、温泉で見掛けた大学生の団体に追い付かれた。愛想のいい笑顔でリーダーらしい青年が話し掛けて来た。

「間に合いましたね。小屋を出た時からちょっと心配してたんですよ。雪渓も融けてて、迷い易い所も有ったでしょ?」

 父は汗を拭いながら、密かに見ず知らずの青年から観察されていた事に驚き苦笑いを浮かべた。

「まあ、少し。でも後ろから来た人に道を教えてもらって助けられました。」

「えっ? 貴方方の後ですか? そんな筈無いと思いますよ。」

 そう言われて不思議そうな顔をする父に、大学生は照れ臭そうに言った。

「だって小屋を出発したのだって一番遅かったでしょ。僕等、大丈夫かなって、本当は温泉でぎりぎりまで貴方方が来るのを待ってたんですよ。」

 そう言われて私は、温泉でわいわいとはしゃいでいた彼等が、私達親子が現れるとこちらを見ていた事を思い出した。

「だってあの小屋で同じ日に偶然行き会ったんだから、みんな楽しく山を堪能して、無事に家に帰りたいじゃありませんか。」

 屈託ない青年の言葉に、父は破顔して握手を求めた。

「おかげさまで、何とか無事に降りて来られたよ。ありがとう。」

 

 考えてみれば、あの大学生の言う通りなのだ。あの時刻、足の遅い私達の後ろにまだ誰かいたとは考えられない。だとしたら、私と母が見たあの人は一体何だったのだろうか。確かにあの人は、雪渓を渡り切ると、きょろきょろしている私に気付いて、こちらだと言わんばかりに手を振ってくれたのだ。私はあの人が例えもう人ではなくなっていた存在だったのだとしても、私達親子を助けてくれたのだから、悪いモノでなかったと信じている。彼は今も登山者の安全を守る為に、迷った人を家に帰す為に、まだあの場所にいるかもしれないと。


 
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出典元:登山道を導く影
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883940547/episodes/1177354054883947761

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