【まとめ・野口健さん】好きだった登山が嫌いになった(2019年2月16日追記)

野口健

【まとめ】野口健「好きだった登山が嫌いになった」(2019年2月16日追記)

野口健「好きだった登山が嫌いになった」



それは、野口さんが

「登山を好きではなくなった時代があった」

という告白から始まった。

まやまブログ

初心者

野口健さんってけっこうおもしろいですね。

おもしろい人ですが

凄まじい経験もしてますよ。

確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい

まやまブログ

1999年にエベレストを登頂して、

世界7大陸最高峰登頂記録(当時)

を持ちましたが、

「30代のとき山登りに情熱を

持てなくなったことがありました」

高校時代に読んだ植村直己氏の著書に

触発されて登山を始め、

「好きなことをしていたら仕事になっていた」

というほど、山登りに没頭してきたが、

30代のときにふと気づくと

「完全に仕事になっていた」

清掃登山も行うが、

「仕事」としてこなすようになり、

ワクワクしなくなっていた。

その状態のぼくを救ったのが、

子どもの頃から持っていた夢であった。

当時、一緒に登山していた

ミュージシャンの藤巻亮太さんがカメラを持ち、

一生懸命に風景を撮る姿を見て、

「あ、おれはもともとカマラマンになるのが夢だったんだ」

と思い出した。

家族にも「おれには夢がある。カメラマンになることだ」

と宣言し、それ以来カメラを抱えて登山するようになった。

そうすると、写真を撮るためにジッと

星空を見上げるようになったり、

普段の登山では気付かなかった風景を見るようになったりした。

そうすることで、

何十回も登ってきた山の素晴らしさを

改めて知るようになったという。

野口 健

登山家野口健さんがイモトさんの下山時にヘリコプター利用への苦言コメント

初心者

登山家の野口健さんが

下山時のヘリコプターには苦言をして

ツイッターが炎上したニュースがありませんでしたか?

そうでしたね。

9月30日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で、

タレントのイモトアヤコがスイスとイタリアの国境にある

アルプスの名峰マッターホルン登頂を果たしことに関して、

アルピニストの野口健さんが自身のTwitter上で苦言を呈している

イモトのチャレンジが放送されたのは30日、

日本テレビ系のバラエティ番組

「世界の果てまでイッテQ!秋のマッターホルン登頂スペシャル」でのこと。

番組内でイモトは、“アルプスのツノ”と呼ばれる標高4478mの

マッターホルン登頂を見事に果たし、そのひたむきな努力で視聴者に感動を与えた。

イモト自身も1日に更新した自身のブログでマッターホルン登頂を報告。

大きなプレッシャーの中でのチャレンジとなったことや、

登山中の苦労話などエピソードをまじえつつ、

「たくさんの方のおかげで登ることができました。

今回のマッターホルンでアルピニストとして一皮も二皮もむけたきがします」と、

達成の喜びをつづっている。

という話題に対してですね。

野口さんのコメントは以下のとおりでした。

まやまブログ

えっ、ヘリを使っていましたか(笑)。

遭難、または体調不良がなければ通常では考えにくい選択肢

野口 健

個人的な考え方ですが、山登りというものは自力で下山するところまでが山登り

原則論として自分の足で登った山は自分の足で降りてくる。

達成感も含め山とはそういうものだと僕は思っています

野口 健

自力で下山できる技術、体力を獲得してから挑戦すればいいわけで、

重要な事は身の丈にあった山登り。また自らを助ける事にもなる。

下山技術がないが為にヘリ下山を大前提とした場合、

では急に天候が悪化した場合はどうするの?

ヘリはやってこない、自力で下山も出来ない。これこそ遭難です

エベレストはまだ早いんじゃないかな

野口 健

初心者

一部フォロワーからは、

「ねぎらいの一言もなく、小馬鹿にしたような発言に対して、

受け取る方には違和感がありました」

といった野口に対する非難の声もありましたね。

野口さんは(笑)で付きで表現したことについては、

彼女の登頂に笑ったのではなく、ヘリを使わなければ

下山出来ないような状況でありながら

それでも片道はやるんだねと、テレビはそこまでやるんだね、

と苦笑したわけと説明してますよ。

まやまブログ

初心者

そういう展開だったのですね。

知りませんでした。

野口健さんはフォローが14万3千人もいますからね。

僕もツイッターとFBはやってますので

野口健さんのツイッターはもちろん

フォローしてますので検索してみてください。

twitter

フェイスブック

まやまブログ

アルピニスト野口健の嫁シェルパの娘と結婚

エベレストに登る前、体を高地に慣れさせるために、

シェルパの家に寝泊まりしていたことがあって。

向こうの家では、朝早くに女性が水を汲みに行き、

火をおこしてお茶を淹れるところから一日が始まります。

部屋は一つでみんな雑魚寝ですから、

その様子を寝ぼけながらボーッと見ていたんですね。

その家では、朝の水汲みは、

当時15歳くらいの女の子の仕事で、

甲斐甲斐しく働く様子にグッときて、

山の上で、お父さんに「あなたの娘にホレちゃったかも」

といったら、「そうか、じゃ、下りたら持っていけ」と。

高地で意識がふわふわしている状態で、

こっちは冗談のつもりでしたが、それが大問題で。

それで、山から下りてきたら村中が大騒ぎで

「シェルパの娘と日本人が結婚するから祝っている」と。

でも、ネパールの山奥で暮らすシェルパ族には

「戸籍」なんてものがないから、

その女の子も出生届が出されてなかったんです。

日本大使館に相談しても、

国際結婚にはペーパーが必要ということで

取り合ってもらえず、仕方なくカトマンズに

部屋を借りてその女の子を住まわせて、

自分は日本から仕送りするという、

極めておかしな関係になりました。

ぼくも数ヵ月ごとにネパールに行ってました。

でも、山奥の生活に比べるとカトマンズは大都会で、

それなりの不労所得も入るものだから、

会うたびにどんどんケバい女になっていくんですね。

しかも、他に男ができたような雰囲気もあり、

しばらくしてその関係は終わることになります。

そんなわけで、今の結婚が1回目なのか、

2回目なのか、説明するのがややこしいんです。

野口 健

野口健さん現在の娘は純粋な日本人、本名や学校等の情報

野口絵子

初心者

たしか、野口さんにはかわいい娘さんがいましたよね。

はい、そのとおりです。

本名は野口絵子さんです。

娘さんは2004年生まれの14才(中学二年生)です。

そのまま「エコ」と読みまして、

登山清掃の活動にちなんで名づけられました。

現在ロンドンの立教英国学院に通われているそうです。

日本人を対象にした全寮制の学校です。

まやまブログ

野口健さん兄弟はイラン滞在(商社マン)兄貴

野口健兄弟

先日、イラン滞在(商社マン)の兄貴が一時帰国し再会。

お互い健康に色々あり、いつもは2人で葉巻をやりますが、

今回はなし。それが残念だった。

2人で葉巻やりながらの会話がこれまたいいのですが。

それにしても、兄弟とは不思議なもので、

別人格でありながら心の片隅に重なり合う部分があるのだから。

http://www.noguchi-ken.com/M/2018/03/post-1053.html

有吉ダマせたら10万円の番組では

野口健さんの弟は

野口幸二。

まやまブログ

野口健さんは三浦雄一郎さんとも親密ですからね。

まやまブログ

野口健さん「三浦雄一郎は究極の遊び人」

野口健三浦雄一郎

三浦さんが70歳でエベレストに登ったとき、

僕はエベレストの清掃で現地にいたので

三浦隊へ遊びに行きました。

三浦隊はキムチ鍋とか、ごはんがおいしい。

三浦隊のベースキャンプ(BC)には

見るからに料理人という格好をした方までいました。

三浦さんにはすごく興味があって、

当時僕が30代前半。それでもBCの生活はきつい。

そのときは70歳の三浦さんが来ると聞いて、

本当に登れるのかなと思っていました。

野口 健

山にいればどんな人でも精神状態が

ナーバスになったりハイになったりします。

酸欠だし、長期間の共同生活もストレスになる。

でも、三浦さんを見て、

「なるほどな」と思ったのは、

1カ月近くいて三浦さんは

いつ会っても感情の波がない。

悪天候になると普通はネガティブに

なってしまうものなのに、

三浦さんは「いやー、今日は雪が降ってるねー」

とか楽しそうなんです。

標高の高いキャンプに行っても

「高山病って慣れないもんね」とか。

意図的にやっているのではなく、

三浦さんのキャラクターですよね。

表情が遠足に来ている小学生みたいでした。

野口 健

山にいればどんな人でも精神状態が

ナーバスになったりハイになったりします。

酸欠だし、長期間の共同生活もストレスになる。

でも、三浦さんを見て、

「なるほどな」と思ったのは、

1カ月近くいて三浦さんは

いつ会っても感情の波がない。

悪天候になると普通はネガティブに

なってしまうものなのに、

三浦さんは「いやー、今日は雪が降ってるねー」

とか楽しそうなんです。

標高の高いキャンプに行っても

「高山病って慣れないもんね」とか。

意図的にやっているのではなく、

三浦さんのキャラクターですよね。

表情が遠足に来ている小学生みたいでした。

野口 健

登山隊の隊長がナーバスになるとみ

んな疲れるんですよ。隊員同士もギスギスする、

山には逃げ場がないから。

でも、どんな状況でも三浦さんはからっとして楽観的。

いつも三浦隊は雰囲気がいいんです。

リーダーとして方針を決めるのもそうだし、

明るく振る舞ってスタッフのモチベーションを下げない。

「俺たちは遊びに来ている」というのを徹底していますよね。

三浦さんは褒め上手ですから。

隊長もシェルパも同じ物を食べる。

みんなの気持ちが切れないからこそ

三浦さんの登頂につながっている。

僕はそれをみてリーダーのあり方を学びました。

野口 健

野口さんの生き方として壮絶な体験については

以下のとおりです。

まやまブログ

野口健さん情報(日常生活もままならず…壮絶ヘルニア体験語る)

すさまじい音と振動がきて、

一緒にいた4~5人で腕を組み四つん這いになりました。

ふと顔を上げると、雪崩が巨大な生き物のようにものすごい勢いで迫っていました。

2011年、標高6000メートルのエベレストでのことです。

「もうダメだな」と思いました。

そして、「ドン!」と雪崩がぶつかったんですけど、

手前に巨大なクレバスがあったおかげでそこに重い雪が落ち、

舞い上がっていた軽めの雪に巻き込まれたことで、奇跡的に全員が助かりました。

それでも、圧倒的な圧力で流されて雪に埋もれ、

鼻や口に詰まった雪を急いで指でかき出さなければなりませんでした。

首の後ろが少し腫れたものの、生きていられたのは本当に奇跡。

雪崩は氷の塊を含んでいるので、まともに食らったら体なんか簡単にちぎれるんです。

九死に一生を得たそんな体験から約1年後、

右手の指の先がしびれるようになりました。

さらに1年後、右肩甲骨の辺りに痛みがきました。

そのうち、マイナスドライバーでえぐられるような痛みで

日常生活もできない状態になりまして、接骨院でレントゲンを撮ったら

「首のヘルニア」と診断されたのです。

原因は、年齢や登山の荷物運搬などいろいろですが、

引き金は「雪崩のときのムチウチだろう」とのことでした。

処方された薬で、痛みは一時的にとれました。

でも、飲むと視界がゆらゆらして、歩くとフラフラで、ろれつが回らなくて、

目つきもおかしくなる。それほど強烈な薬でした。

ヘロヘロでも仕事は休まずに行きましたが、薬が切れると痛くて、

しんどいからどうしてもお酒を飲みますよね(笑い)。

お酒と薬で落ちるように寝ることが日常になり、

常に事務所スタッフに面倒をかける日々でした。

治療を模索していくつも病院へ行きましたが、

どこへ行っても「手術しなければ治らない」と言われました。

しかもその手術は、喉の前からメスを入れて変形した骨を切り取り、

腰の骨を切り出してそこへ入れるというもの。

「半年間は山には行けない」と言われました。

なかなか決心がつかないまま2年近くがたち、精神的にも壊れかけ、

いよいよなんとかしなければと思った頃、

通い始めたスポーツジムのトレーナーから

「首と腰のヘルニアを内視鏡で手術する専門医がいる」と教えてもらいました。

それが徳島大学整形外科の西良浩一先生です。

聞けば、何人もの有名なアスリートの

ヘルニアを内視鏡手術で治している先生でした。

ボクが「来年ヒマラヤに登りたい」と言うと、

「じゃ、すぐやろう!」と言うのです。それが2016年の夏でした。

手術は、内視鏡で神経が当たる部分の骨を削るというもの。

要は脊椎に穴を開けるわけです。

一歩間違えば半身不随になる難しい手術とのことでしたが、

西良先生は「大丈夫。来年にはヒマラヤに行けます」と飄々と言ってくれたので、

直感で信頼してお任せすることにしたんです。

■退院2日後に富士山へ

手術は全身麻酔で4~5時間。傷はわずかで痛みも少なく、

2日後には自分でトイレに行け、1週間もするとリハビリ室で

軽いトレーニングができるようになりました。

と同時に、主治医がうちわを手にボクの病室に来て、

「阿波踊りの練習をしよう」と言い出しました。さすが徳島だと思いましたね。

それがまた真剣で、手術から10日後、

退院を迎えたとき本当に阿波踊りに参加しましたよ(笑い)。

さらに、退院して2日後には富士登山に出発しました。

熊本の被災地の子供たちとの約束だったので、

「せめて行けるところまで」という気持ちでした。

医師からは「絶対に転ぶな」と言われたので緊張しましたけど、

結局、山頂まで行っちゃいました(笑い)。

ヒマラヤへ行ったのは今年の春。それまでに50回以上も登ってきた山ですが、

2年間のブランクは初めてです。不安でしたし、

いざ登ってみるとこれまで当たり前にやっていたことにあたふたしちゃって……。

でも、その感じが初心に戻ったような新鮮さで、

「不安ってのは楽しいものだな」と思いました。

日常生活もできなくて「山は終わった」と思った時期もありました。

「山で死ぬことはないからそれもいいな」と考えたことも確かです。

でも、「山をやめたら何も残らないし、何も残らないのも怖い。

どうであれ怖いなら山を続けよう」と思い至って今があります。

入院の時間というのは病気にもよるし、人にもよると思いますけど、

考えようによってはぜいたくな時間だと思います。自分と向き合えるし、謙虚にもなれる。まあ、謙虚さはそう長くは続きませんけどね(笑い)。

▽のぐち・けん 1973年、米国生まれ。

16歳のとき植村直己さんの著書に感銘を受け、登山を始める。

25歳で7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立。

その後は、エベレストや富士山の清掃登山を実践し環境教育を広める活動に力を注ぐ。

2013年に「野口健が見た世界 写真集」出版、

2015年に「ヒマラヤ大震災基金」設立、

翌年は「熊本地震テントプロジェクト」を立ち上げ現地で活動するなど、

被災地支援にも尽力している。

野口 健

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